林光が、去った。
林光が亡くなった。新年5日のことだそうだ。
何度目かに思うけれど・・・一つの、時代が終わったのかもしれない。
知ったのは7日の朝で(5日の夜から6・7日と寝込んでいたので、あまり知らなかったのだ。発表されたのもどうやら6日のことらしい)。
その人、誰?
と思われる方でも、NHK大河ドラマ『花神』といえばわかるだろうか。
この音楽で有名だが、そのほかにも、、、なんていう言葉では表せない。現代音楽=クラシックの世界では偉大、では済まされない。巨大、というか。いろいろな意味で、大きな存在だった。
天才、という人たちはある時期に、ごとっとまとめて輩出されるような気がする。
林光前後には何人もの、作曲の世界での天才がいて、それぞれが違った才能を持ちながら、連関して音楽の時代を作ってきた。。。と私は思う。
アカデミックな世界(俗にいう“クラシック音楽”ってやつ)では、作曲家の人たちは、こういうテレビのドラマや映画などの音楽(=「劇伴」といいますが)を書くことを低く見る風潮がある。ならハリウッドはどうよ? ということになるのだが、たぶん、通俗名曲を作ってはいけない、というような不文律があるんだろう(笑)。
もちろん、現代でもそういう風潮は残っているし、逆にわかりやすい音楽っていうのは誰でも書けるため、本当に凄い音楽とそうでないものがわかりにくくなってしまう、という難点はもちろんある。それならば才能は隔離しておいて機会を与え続けた方がよいという考え方ももちろん、一方で正しい。。。と私は思う。
しかし。
林光や武満徹は、テレビドラマの音楽を書いた。これによって、例えば大河ドラマや劇伴のクオリティは上がった…なにより多くの人の耳に触れることになった。彼らのもっている、なにかこう魂のようなもの。
芥川也寸志に『赤穂浪士』が、武満徹に『夢千代日記』、伊福部昭が『ゴジラ』、、、そんなことを言い出せば、多くのものすごい作曲家の人たちが映画や演劇や音楽に関わってきて、現在も関わり続けている。
話が逸れたけど。
林さんとは、自分が若くて、まだ音楽の世界を目指して夢を持っていた(びんぼーな)時代に、なにかとかかわりのあった方だった。直接お会いして話したということでもないし、教えを受けたこともない。I辺先生とは仲良しだった(ご一緒に連弾して遊んだりなさったり、行き来はしょっちゅうしてたらしい。お近くなので)のに、何故かマネージャー女史にキラワレテ、取り次いで貰えなかった(;_;)という悲しい過去がある(笑)。
しかし彼は二つの大きな活動を、本業以外にしていた。
一つが、「オペラシアター こんにゃく座」。
オペラ、って楽しいよね。色恋沙汰を中心に、人間や愛情やどたばたを描く…のが普通のオペラ。だけどこのこんにゃく座はそうではない。
どういうんでしょう。演劇でいえば、プロレタリアート文学ってやつでしょーか。
台本も音楽もオリジナル。座付きの団員たちが歌い、踊り、芝居をする。……何度も見に行ったけれども、うまいですよ。そして、脚本が素晴らしくて、怖い。
社会派、というのでしょうか。
一番有名な演目は『森は生きている』ですね。ロシアの民話を元にした、十二月の精たちと貧しい母娘、わがままな女王様(=少女)の物語。
個人的に、もっとも印象に残っているのは『ガリバー旅行記』ですが。。。なにせ台本が原民喜。原爆と第二次大戦をネタに取り込んだ、シビアでうなされそうな内容でした。
そうしてもう一つの活動が、「赤い機関車」といいました。ネット引いてみたけどさすがに残っていませんな(笑)。一時的な名前だったのかもしれませんけど。
合唱曲としても素晴らしい曲をたくさん残していただき、私個人でも「日本抒情曲集」や「原爆小景」などをうたっています。幻の名曲としては、「死んだ男の残したものは」(林光編曲版」というのがありますねぇ。ジャズっぽいピアノ伴奏がとても良いのです。
なんか思いつくままにつらつら書きましたが、ともかく凄い人でした。驚きからまだ立ち直れない感じがします。
・・・
ワイセンベルクが82歳で亡くなりました。
ピアニストです。
池田理代子さんや竹宮惠子さんの漫画などお好きな方は、マンガの中でご存知の名前かもしれませんね。私は生演奏は聴く機会に恵まれませんでしたが、LPはけっこう聴きました。好きな演奏家だっただけに、もっともっと元気で長生きしていただきたかったです。
時代はゆっくりと変わっていきますが、彼らと同時代を過ごせたことを、私は幸せに思わなくてはならないなぁと思ったのです・・・20代の若いころに。
何度目かに思うけれど・・・一つの、時代が終わったのかもしれない。
知ったのは7日の朝で(5日の夜から6・7日と寝込んでいたので、あまり知らなかったのだ。発表されたのもどうやら6日のことらしい)。
その人、誰?
と思われる方でも、NHK大河ドラマ『花神』といえばわかるだろうか。
この音楽で有名だが、そのほかにも、、、なんていう言葉では表せない。現代音楽=クラシックの世界では偉大、では済まされない。巨大、というか。いろいろな意味で、大きな存在だった。
天才、という人たちはある時期に、ごとっとまとめて輩出されるような気がする。
林光前後には何人もの、作曲の世界での天才がいて、それぞれが違った才能を持ちながら、連関して音楽の時代を作ってきた。。。と私は思う。
アカデミックな世界(俗にいう“クラシック音楽”ってやつ)では、作曲家の人たちは、こういうテレビのドラマや映画などの音楽(=「劇伴」といいますが)を書くことを低く見る風潮がある。ならハリウッドはどうよ? ということになるのだが、たぶん、通俗名曲を作ってはいけない、というような不文律があるんだろう(笑)。
もちろん、現代でもそういう風潮は残っているし、逆にわかりやすい音楽っていうのは誰でも書けるため、本当に凄い音楽とそうでないものがわかりにくくなってしまう、という難点はもちろんある。それならば才能は隔離しておいて機会を与え続けた方がよいという考え方ももちろん、一方で正しい。。。と私は思う。
しかし。
林光や武満徹は、テレビドラマの音楽を書いた。これによって、例えば大河ドラマや劇伴のクオリティは上がった…なにより多くの人の耳に触れることになった。彼らのもっている、なにかこう魂のようなもの。
芥川也寸志に『赤穂浪士』が、武満徹に『夢千代日記』、伊福部昭が『ゴジラ』、、、そんなことを言い出せば、多くのものすごい作曲家の人たちが映画や演劇や音楽に関わってきて、現在も関わり続けている。
話が逸れたけど。
林さんとは、自分が若くて、まだ音楽の世界を目指して夢を持っていた(びんぼーな)時代に、なにかとかかわりのあった方だった。直接お会いして話したということでもないし、教えを受けたこともない。I辺先生とは仲良しだった(ご一緒に連弾して遊んだりなさったり、行き来はしょっちゅうしてたらしい。お近くなので)のに、何故かマネージャー女史にキラワレテ、取り次いで貰えなかった(;_;)という悲しい過去がある(笑)。
しかし彼は二つの大きな活動を、本業以外にしていた。
一つが、「オペラシアター こんにゃく座」。
オペラ、って楽しいよね。色恋沙汰を中心に、人間や愛情やどたばたを描く…のが普通のオペラ。だけどこのこんにゃく座はそうではない。
どういうんでしょう。演劇でいえば、プロレタリアート文学ってやつでしょーか。
台本も音楽もオリジナル。座付きの団員たちが歌い、踊り、芝居をする。……何度も見に行ったけれども、うまいですよ。そして、脚本が素晴らしくて、怖い。
社会派、というのでしょうか。
一番有名な演目は『森は生きている』ですね。ロシアの民話を元にした、十二月の精たちと貧しい母娘、わがままな女王様(=少女)の物語。
個人的に、もっとも印象に残っているのは『ガリバー旅行記』ですが。。。なにせ台本が原民喜。原爆と第二次大戦をネタに取り込んだ、シビアでうなされそうな内容でした。
そうしてもう一つの活動が、「赤い機関車」といいました。ネット引いてみたけどさすがに残っていませんな(笑)。一時的な名前だったのかもしれませんけど。
合唱曲としても素晴らしい曲をたくさん残していただき、私個人でも「日本抒情曲集」や「原爆小景」などをうたっています。幻の名曲としては、「死んだ男の残したものは」(林光編曲版」というのがありますねぇ。ジャズっぽいピアノ伴奏がとても良いのです。
なんか思いつくままにつらつら書きましたが、ともかく凄い人でした。驚きからまだ立ち直れない感じがします。
・・・
ワイセンベルクが82歳で亡くなりました。
ピアニストです。
池田理代子さんや竹宮惠子さんの漫画などお好きな方は、マンガの中でご存知の名前かもしれませんね。私は生演奏は聴く機会に恵まれませんでしたが、LPはけっこう聴きました。好きな演奏家だっただけに、もっともっと元気で長生きしていただきたかったです。
時代はゆっくりと変わっていきますが、彼らと同時代を過ごせたことを、私は幸せに思わなくてはならないなぁと思ったのです・・・20代の若いころに。