fc2ブログ
2013_03
29
(Fri)12:43

クラシック音楽・四方山

 来日公演が続いていて、4月はけっこう忙しい。
 駄菓子菓子。…業務が忙しくて、招待状が来るのにいくことができない(>_<)悲しいよー。行きたいものばっかりである。

 同様なことは毎年11月にも起こる。頑張って高いチケットをゲットして、仕事の合間に行って、また会社に戻って…とがんばってた時期もあったけどなー。最近は、ベルリン・フィルが来ようが、ウィーン・フィルが来ようが、諦めモードの方が強い。
 しかし、今年はパリ管が来るので、これは行くぞ、と。ベルリンも是非行きたいものだが(;_;)。
 コンセルトヘボウは来るのだtっけ、どうだったっけ。(<をい<自分)こいつは来るならお勧めだけど。

 ちなみに5月後半、ウィーン響(ウィーン交響楽団)はお勧めです。
 現地ではウィーン・シンフォニカーと呼ばれている、私は個人的に大好きなオケなんだけど、ちょっとお茶目ですかね(^_^;) ウィーンらしい演奏をしますが、上手いかっていわれると、ヘタウマだ。ただし今回は指揮者は大野和士だし、ソリストは庄司紗矢香なので、凄い。オーケストラだけの追加公演! もあるみたいなので、そっちもよろしいんじゃないでしょうか。

 それと6月は、なんとチョン・キョンファが来る! もはや幻かと思っていたら、完璧復活! 凄いっす。
 私自身は生演奏を聴いたことはないんだけど、周りの先輩方で熱烈なファンの人が多くて、大いに楽しみにしてるとこ。6月3日が東京文化会館、11日がサントリー。あと、この間に、兵庫県立芸劇と名古屋と福岡で演奏するみたい。ソロとしては(東京は)ちょいとお高めだけど、地方は少し安い。いや、もちろん2日とも行きますとも。

 4月9・10日はシュトゥットガルト放送交響楽団が来日。これまた楽しみ♪ 10日は例の三浦文彰くんがソリストを務めるので、すでにチケットはゲット済み、、、と思ってたらご招待もいただいてしまった(>_<)(^_^;)ま、いっか。
 ここのコントラバスセクションの首席は、幣くんというイケメンの若者(日本人)である。関西出身で、東京にはほとんど居ないので、媒体に出る機会は少なかったり案外知られてないけど、物凄い実力派です。聴きに行かれる方は、それも注目ですよん♪

 それと5月は「最後のツアー」になる東京クァルテットが来日して日本ツアーします。彼らは最初、全員日本人でスタートしたんだけど、メンバー交代を繰り返して、現在は、当初から居る2人の日本人と中堅どころの実力派2人のアメリカ人のチーム。NY在住。33年間、続けてきたけど、このツアーで解散する。王子ホールは即完だったそうで諦めたのだが、まだ残ってるかなぁ、ううむ(^_^;)。素晴らしい演奏をするので、機会のある方は聴いといた方がいいよ。
 それにしても、彼らが某財団から貸与している、最高峰といわれるストラディヴァリウスの4本セットの楽器。解散したあと、返却されるんだろうけど、次はどこのカルテットに貸し出されるんだろう? 気になるところです。個人的には「あそこに貸してやれよ~~」と思ってるとこはあるけどねー。

 そして現在。
 上野のお山&森 では、「東京・春・音楽祭」っつのをやっている。
 美術館だの、博物館だの、上野音楽大のホールだの、文化会館だので、大小様々なコンサートが開かれているのだ。(でも芸大の先生がご存知なかった。これって問題ぢゃない?(^_^;))
 なかなか面白いコンサートや、面白い人々が出演する。ふだん海外で活躍してる人々(若手からベテランまで)も何だかんだと出演する。でも室内楽はなかなかチケットが買えなかったり(完売してるのが多い)しますが。メインのワーグナー(コンサートオペラ形式)「マイスタージンガー」は高いけど、まだあるんじゃないかな。
 これは、ちょこちょこと4月半ばすぎからの小さい公演を聴く予定。
 一番聴きたかったの、チケット押さえておいたのに(2枚で7,000円もした(;_;))行けなくて、結局無駄にしてしまったのである。。。びんぼなのに痛かった(>_<))。

                 ・・・
 ところで、伝聞だが、昨夜、ひとつ事件があったようだ。
 イダ・ヘンデルというヴァイオリニストがいる。今年、おそらく90歳少しという高齢だが、素晴らしい演奏家で、その1音だけで人を魅了するような音楽性と、さらには技量も素晴らしい。もちろん年を取っているので技術的には衰えたという見方もあるのだが、それでも、前回の来日の時には、「うへぇ!」というほど素晴らしかった。
 気品のある、見事な音を奏で、われわれを別世界へ連れていってくれる、最後の、貴重なヴィルトゥオーゾの一人であろう。

 某ホールでのコンサート。
 よりによって、自由席で売ったらしいのだね。それで、どういう具合なのだか、来場者数の読みを誤ったのか、ホールに人が入れずに、溢れてしまった。そして開演時間に開演できず、50分遅れで始まったはよいが、(消防法で「立ち見」は禁止されているので)入れなかった人はロビーでモニタで鑑賞したらしい。
 しかし彼女の演奏は、モニタではわかりません、はい。

 それを知らずにコンサートを進め、聴きつけたご本人は、「そんな方たちがいらっしゃるなんて」と、ロビーへ出てきて演奏したそうだ。
 もちろん返金されたんでしょうけど、、、コンサート作った側は、素人さんなんでしょうか?

 マネジメントは、毎回彼女が来日するたびに担当している会社である。不思議なこともあったものだ。
                 ・・・
 一度だけ、私は「人が溢れたコンサート」に行ったことがある。
 渋谷のBunkamuraオーチャードホールだった。有名アマチュアオーケストラのコンサートで、土曜日午後。ベートーヴェンの名曲シリーズ。2,000人の席が満杯になり、入れない人と係員が通路でモメた。私も入れてもらえず、ところが、中を見れば、ぽつりぽつりと空いている椅子が、、、もちろん全席自由。
 確かアナウンスが入って、座席取りや、荷物置きを全部引き上げてもらい、通路の人たちを入れるようにしたんだと思ったが、アマチュアゆえ裏表の連携が今ひとつで、また時間の融通も利かないため、開演に間に合わず、通路で締め出しを食った人もいたと思う(私は強引に滑り込んで、空いてる席を確保したので無事聴けたが。これは“慣れ”というものだ)。
 ただホールが違えば事情も違う。昨日のホールはそんなに大きな場所ではないし、溢れた人数がただごとではなかったと思われるので、収集がつかなくなったのだろう。

 指定席は「死に席」が出来る、という気持ちはわかる。なのだが、自由席にはそのリスクもあるなぁと思う今日このごろ。演奏する立場、仕切る立場、聴く立場。どれもわかる私としては、複雑な心境でそれを聞いた。

 …とまぁ四方山話。

 NYでは、出張行った先関係のイベントで、二つの弦楽四重奏を聴いた。普通に小さいホールとか美術館の中のホールで演奏するんですよねぇ、身近でいいな。

↓上海クァルテット:ともかく大好きなクァルテット。上手いし、人柄も好きだし♪ 再会できてラッキー♪だった。
上海SQ_20130315

↓ヴェルディ・クァルテット:生を聴くのは初めてだったけど、独特の個性があって、上手い! 来日が楽しみですね♪
VerdiSQ_20130317

 
2013_03
27
(Wed)20:08

「人間の死亡率は100%」

 少しバタバタしとりました。

 物語の中では、人は沢山死ぬけども、死んだ後、人がどうなるのか、ということがわからないから人はじたばたするのであって、それと「老い」というのが切っても切り離せないから、いろいろなところで不都合やら社会問題やらになる。
 人の生き死にが自然であり続けられて、天然や自力で賄えるのなら、こんな幸せなことはないんでしょうね。ただ実際のところで、そういうのはムリだと思う。

 病気になるかどうかということと、甘えの精神構造とは関係なくて、甘えの中には、体調が悪い(身体の具合や頭の具合がよくない)ことからくる、本当にどうしようもないものと、単なるワガママだったり社会常識や思いやりの無さからくるものがあり、その境目は、はなはだ曖昧だ、、、と身近な例を見ていて私は思う。
 年を経れば我慢強くなるかなと思っていたのだけれども、職場の仲間などと話をしていても、「むしろそれは逆なんじゃないかい」という自覚が皆あり、「だんだんワガママになる」というのが、もっぱらの感じらしい。いや、だからそれは「自覚しろよ」という意味であって、人様にどうこういうことではないのだけれどね。

 要するに、死ぬ覚悟があるか、という話。
 死ぬ覚悟=生きる覚悟とか生き様 ってことになるんだろう。

 たいてい、私らの年代までの人間で、どこにも致死の故障を抱えてない人間(あちこち不具合はあるにせよ)にとって、死は「明日突然」やってきたりはしない、、、と思い込んでいる。
 だけどまぁ、「無差別殺人」だってあるし、「通りがかり殺人」やら、「爆弾に巻き込まれた」り、「地下鉄サリン事件」とかもあったりして、いつだって人は死に直面して生きてるわけなのだ、、、と、改めて思う。

 しょっ中、倒れたり救急車に乗ってるので、病院のベッドで動けないでいるときなんかは、少し楽になってくると「あぁしまった~」とかいつも思うわけですな。「このまま帰れなかったら、ヤバいよ自分」。部屋の中はぐちゃぐちゃだし、仕事もプライヴェートも整理できてない。なにせ、入るお墓も決まってないもんね。無縁仏か?(って仏教徒じゃないから「仏」じゃないことは確かだが・笑)

                       ・・・
 タイトルの科白は、義母(医者)の科白である。
 真実で、悲しくて、本音。
 というのも、NYから帰った翌々日の早朝、義父が亡くなったからだ。朝、起きて気付いたら階下で冷たくなっていたそうで、持病はあったものの、前々日まで元気に碁を打ち、前日の夜、会議で遅く帰った義母にお茶を入れてくれた、というから、ポックリ死といっても過言ではない。
 だけどそのあとは、なんというか。
 お二人の生き様というか、なんというか。そして子どもたち親類のケアといいますか。親族でありながら、血縁ではないという立場で、極めて不思議な立場でその場にいた私としては、感動するようなお見送りだった。

 友引がはさまったので、通夜までの2日間、いろいろと話をする時間があり、皆が仕事の合間を縫って、交代に訪れ、できることをし……。一族の連携と、地域のコミュニティが上手く回っていた例なのだろうと思う。

 生きている間にしなければならないこと? 残された人が困らないようにすること、なんだろうなぁ。
 悲しみや、寂しさや……そういった感情はあとからついてくるし、あってもなくても変わりない。だけど、死者が生者に負担をかけてはいけないわけで(もちろん、逆もあかんけど)、それを完璧にしていく覚悟、というのは、いまの70代80代の人たちは持っていると思うけど。われわれの世代やそれ以下はどうだろうか。

 東京は、単身者世帯がとても多いそうだ。
 ずっとそうやって暮らしてきた者は、それに慣れているだろうし、自分の始末くらいは自分で考えているはずだ。それはそれであとくされなくていいのだろうと思う。
 だけど実際、うちの親族のように、全国に散らばって住んでいる場合、どうしたらよいのだろう? とふと思う。身体が動く間は一人で楽しく暮らしてる叔母たちもいる。だが家族で暮らすことに慣れた者が、それが欠けた時に、覚悟があるだろうか?
 帰るつもりも、面倒を見てもらうつもりもない。だけど、逆はどうだろうか? 親の面倒を見るのは子の義務だろう。しかし18で大学に行くために家を出て、もう何十年も一緒に暮らしたこともない(帰省しても、一緒にいるのは2日が限度だ)。

 自分で生きようとしている人には、出来うる限り助けたいと思うのは人情だ。
 だけど、そうでない人に対しては、おそらく自分は、冷たいのだろう。何故なら、自分が日々を過ごすだけで必死だから。このままであと10年も20年も続けられるのかというと、それすら自信がないわけで(笑)。自分がポックリ死にそうである(笑)。

 なんてことをだな。
 いろいろ考えつつ、、、一方では。おぼーさんが。「私も死にたくないと思って暮らしています。朝、運良く目覚めたらその日一日…」というようなことを説法の中で仰っていたので、面白かった。

 それになー。
 やっぱり仏教式のお葬式には抵抗がある、、、お焼香する時に、思わず十字切りそうになって、何回も(あ、やばやば)と思ったのは、私です(^_^;)。

 で、義父は、きれーなお顔にしてもらって、幸せそうに旅立ちました。合掌。。。とはいえまだ四十九日までは、そのへんにいるんだろうけど。
2013_03
25
(Mon)02:55

帰ると景色が変わっている話。

 今回、旅に出ているたった1週間の間に、東京の地理が変わっていたことがありまして。。。何が? というと、渋谷駅であります。

 東横線が地下に潜り、地上の駅が無くなったのが3月16日。ちょうど、NYCで二日目のお仕事をしている時でした。戻った翌日に、横浜に仕事に行かなければならず、ぜいはぁと言いながら行ったわけですが、銀座線からの乗り換えがえっろぉ不便になった由。そうしたら半蔵門線の方がよい、ということで、地下3階の半蔵門線から地下4階の東横線へ乗り換えて、直通一本。問題無しでしたが、、、FBなどネットを見ると、ほとんどの人々が「通勤に余計に時間がかかるようになった」「始発などの時間が、、、」「路線が混乱する」…良い話はまったくといっていいほど聞きません。横浜から埼玉まで通勤する人にとっては、少しは便利だったらしく、その日も、日本大通りから清瀬まで帰るという人と同行して、私は途中の「新宿三丁目」で降りましたが、なにせ「渋谷駅が無くなった!」というのは衝撃の事実。

 いずれにせよ、東京メトロ・副都心線の延長に伴う工事だそうで、これを「一日で切り替える」のだからすごいですね。
 私にしてみれば、「街が変わっちゃった(>_<)」というようなショックであります。

                 ・・・
 実は一度、同じ、、、もっと凄い【転換】を経験してるのですね。

 たぶん2000年だったかな? まずはヨーロッパがユーロで統一された年。その年の転換のときにフランクフルトにいまして。これがまたすごいことでした。フランクフルトの歌劇場の前に、大きなユーロのオブジェがあるのですが、これが点灯されて、とても美しい光を放つようになったのはこの時からです。

 同時に、ですよ。
 3月末から4月の頭、留守でした。
 何があったかというと、東京の地下鉄が【営団→メトロ】に変換した年です。

 どうやら、準備をして、上に紙を貼っておくかなんかして、一晩で、張り替えたらしくて、戻ってきてみたら、見慣れた看板が全部なくなり、地下鉄の出入り口の景色はすべて変わっていて、名前も変わっている。日々地下鉄で通勤していましたので、あのときほど「いったい、東京はどうなっちゃったんだ!?」とびっくらこいたことはありませんでした。
 別にさー。いちんちで変えなくてもいいじゃん(^_^;) いや駅の切り替えは混乱するから一瞬でしないといけないけどさ、看板のすげ替えとか、新表示のライトに付け替えるとかはさー。……会社が変わったからかしらん。

 ともかく、景色が一変していて、驚いたんですよねー。あぁびっくりした。
 しばらく呆然として、ふと気づいたんでよかったですけど。
 ウルトラセブンかい? と思ってしまった。
 (「ウルトラセブン」の名作の中に、団地ごと入れ替わってしまう話があるの、ご存じ?)

 どうやら頻繁にそういうことは起こるらしくて。年末年始とか、3月から4月とか。期の変わる時に不在になると、まぁいろいろあるようです(^_^)♪ それでも、日本は日本★ NYで雪で、戻ってきたら桜が咲いてても、まぁいっか。近くの小さい公園の桜はすでに満開に近くて、いつも宴会してるおっさんたちは、4月に入ったら泣くだろうなぁ(^_^;)。

2013_03
24
(Sun)22:17

マンハッタン南部の平和な日々

 私たちが拠点にしたのは「チェルシー街」といって、マンハッタンの中央より少し南部寄り西側です。昔から比較的安全な地域とされていて(ただし現在は、本当にNYCごと、桁違いに治安が良くなったので、他の地域に比べてどうこう、ということはありません)、中流な人々が普通に暮らしている街という印象でした。
 実際に、ビジネス街もあり、かといってウォールストリートや官庁街のような雰囲気でもなく、1日だけ尋ねたジュリアードや五番街の方から東へ入った高級住宅街とも異なり、なぁんか「普通のニューヨーク」って感じで、まったりとしています。
 仕事に行った会場まで15分ほどで歩けただけでなく、大通りに面してデリやマーケット、24時間ストアだけでなくセブンイレブンまであり、また通りの向こう側は小さい美術館やホール、家具ショップなどもあって、なかなか住むにはよさそうです。同行してくれたNY在住の人も、「このへんに住みたいんだよねぇ」と仰っていました。

チェルシー街1

チェルシー街2
↑夕方の風景2枚

ワイン屋さん
↑こういったワインのお店やら、お洒落なカフェやら雑貨店やら、けっこういろいろあります

↓泊まったホテルの角にあって、とても気に入ったカフェ。半分が食料品店になっており、そこで量り売りの野菜をお願いして盛りつけてもらい、サンドイッチや飲み物を買って席で食べる様式。自然食な感じで、メニューは毎日変わりますが、この小ジャガイモがむっちゃ美味。それと、毎月「ファーマー(農夫)の日」というのがあって、提携している農場の農夫さんが来て、野菜のレクチャーをしたりワインを解説してくれたりして一緒に会食する日があるんだそうな。…いいなぁ、“農夫の日”♪
オーガニックなランチ

お気にのカフェ

↓これはマンハッタンならどこにでもあるビルの風景。このビルはまぁ少しは新しいようですが、中には100年を過ぎた石造りのアパートなどもあるそうで、外階段が腐ってないかどうか確認しないと、火事の時なんかは危ないです。1階が店舗になっているのも普通で、真ん中の日に、一番右端のイタリアン・バーに入ったところ、とてもよい感じの店でした。本格イタリアンから気軽なつまみまで飲食できる感じで、ゆっくりもでき、店の雰囲気も良く…という感じ。
チェルシー街3

 そういえば今回の旅を通じて、「入った店」はアタリばかりだった感じです。
 普段あんまり旅先で高級な店には入らないので、ホテルのフロントで紹介してもらった店でタイ料理を食ったくらい(でもべつに高くはなかった・笑)。あとは適当に勘で入ったり、コーディネーターさんが「前から入ってみたいと思ってたんだ」という店に入ったり、知ってる店に入ったり。
「お二人とも鼻が利きますね」と褒められてるんだかなんだかわからん(-_-)お褒めをいただいたけど、それは彼がジモティで、お店でもスマートに振舞える人だったからだと思うぞ(お店の女の子をからかっていたりした(笑)。健全なニューヨーカーである・笑)。

 ところで余談。
 この街はつとに知られたゲ×タウンです。言われるまで気付かなかったんですが、食事をしているバーなどで周りをふと見ると、同性同士のカップルがとても多い(特に男同士は多いです)。「多い時は半分以上がそうなときもあります」と連れは言ってました。音楽家の彼は、そういうお友だちも多いようで、友人同士とそうでない人たちというのもなんとなくわかるそうです。本人はヘテロなので特にお誘いされちゃったりはしないそうで、新宿の某所あたりと異なり、皆さん、普通に食事を楽しみ、自然にしているのがいいなぁという光景でした。
 このあたりはアパートなども借りやすいらしくて、コミュニティもあるのだそうな。イタリアなどでは“いかにも”な感じがそれらしかったのですが、そういった意味でもNYというのは先進国なのですね。

 ということで、玲によって観光地にはまったく行かなかった管理人です。
 1日だけ、「百貨店に行きたい!」と騒いでいて、やれブルーミングデールだ、バーニーズ・ニューヨークだ、と騒いでいたのですが、夜中まで開いているメーシーズか、と思ったところ、その日に限って戻ったら部屋メイクが終わってなくて、「仮眠してから出かけよう」と思ったプランがおじゃん(>_<)。いいもんー。ロックフェラーセンターにも行きたかったのに(;_;)。
 せっかく便利な場所に泊まったのに、これではあんまり意味がない。
 結局、音楽関係のところをぐるぐるしただけで、終わってしまいましたが、まぁ次は観光で来ようと思ったのでありました。
2013_03
23
(Sat)21:36

ブロードウェイに行ったぞ。

 「ヤマト2199」で盛り上がっているところ、引き続きNYな話題ですみません(_ _)。
 ようやく帰国しました、、、でもってバタバタしとります。

PHANTOM_ホール内

 ブロードウェイに挑戦して敢え無く敗退した1回目でしたが、次は満を持して、宿からネットで席を予約。コーディネーターさんも行くと仰るので、相方と3人、なんとオケピット近くのど真ん中をゲット。少しお高めでしたが、それでも15,000円くらいかな。劇場がさほど大きくないので(800~1,300席くらいでしょうか?)舞台や役者さんたちの表情なども近く、迫力があります。
 ただ、音楽も歌も演奏も素晴らしい(演出は【特に】素晴らしい!)のに、オーケストラは編成を小さく、音響で増幅されていた分、迫力が減じて勿体無いなぁと思いました。よさが伝わらないのです。
 歌もそうかなー、なんてね。すごく上手いんですよ、素晴らしいんです、歌も踊りも。それだけにね。

↓写真は「オペラ座の怪人」の最後の舞台挨拶シーンです
PHANTOM_ラスト

            ・・・
 さて俗に「ブロードウェイ」というのはどのあたりを指すのでしょう?
「ブロードウェイとかオフ・ブロードウェイってのはどこなの?」と現地な人に訊いてみたところ、「厳密に地区で区切られているわけではない」というのが答えだそうです。
 実際に、リンカーンセンターやジュリアード音楽院のあるマンハッタン西北の中央公園の端あたりからずっと南まで通っている道路でして、その下をメトロの1番線が走っている。町名でいうと42丁目から44丁目あたりがメインで、その間に「タイムズスクエア」とかもあります。
 ブロードウェイの劇場なのかオフなのかオフ・オフなのかは、劇場の席数などによるそうで、大・中・小という感じだそうな。世界中で人気の「オペラ座の怪人」は、今年でちょうど25周年なのだそうで、小屋にもお祭り気分が満ちていました。「キャッツ」なんかは、もっと長かったんじゃないでしょうか。「マンマ・ミーア!」もまだやっていたし、「ライオンキング」も人気のようです。一番新しい大人気作品は「マチルダ」という作品で、これはもう長蛇の列。チケットはなかなか取れないそうですね。

ブロードウェイ

ブロードウェイ2

自由の女神
↑自由の女神の扮装をして、ポーズを撮り、一緒に写真を撮ってお金を貰っていたパフォーマー。なのでコソ撮りです(笑)。ほかにもいろんなパフォーマーやコスプレイヤー(?)が居て、着ぐるみだらけでした。だいたいは劇中人物になりきっていますねぇ

 NYCの公共交通機関は終日運転です。「終電」というのはありません。間隔が広くなったり、快速がなくなったりはありますが、帰れないということはないんです。おまけにタクシー(イエローキャブ)もたくさん走っていて、日本と同様、道路に出て手を出してれば止まってくれますし、さほど高くもありません(それに安全です)。

メトロマップ
 これはメトロの構内に貼ってあったメトロの路線図。左の細長いのがマンハッタンで、ニューヨークは、そうでない部分の方が広いんです(右の方に空港がある)。マンハッタンの西部を縦に突っ切っている赤い線が1号線で、これがブロードウェイを走る。丸してあるのは「現在地」ということで、われわれは23丁目に泊まっていましたので、ほんと、ブロードウェイからも、リンカーンセンター(メトロポリタン歌劇場・美術館・ジュリアード音楽院)などや、五番街、ロックフェラーのある建物などもその延長上にあり、とても便利な場所だったというわけです。残念ながら、仕事先と往復していたのがほとんどだったので、遊びに行けなかったんですけどねー(;_;)。(あぁオペラも見たかったです。。。「椿姫」やってました)

 そんなわけで。NYはもう1本書いておしまい♪ 日本の日常だなぁ。
2013_03
17
(Sun)22:06

NYは雪 &セントパトリックデー

 土曜日はいきなりの雪でした。仕事の中休み、ひとと会うために会場を出ようとしたら、大雪! 冷えて来たと思ったんだ。
 私はかなり大喜びでしたが、それにしても道行くひとの、傘をささないこと。子ども連れだろうが、平気でそのまま歩いて行きます。…けっこう降ってたんですよ、、、(あ、もちろん私もさしていません。持ってきたけどホテルに置きっぱなし・笑)

 雪が降ると、「いかにも」な都市になって素敵かも。

雪

写真でうまく見えますかね?

 夜は少し時間があったので、ブロードウェイへ行きました。ところが、セントパトリックデーで道路もあちこちも大混雑。それに大騒ぎが始まり、凄いこと。まぁ雪や雨なので、らんちき騒ぎがいつもほどではないと言うことでしたけども。
 それにしても、週末の土曜日に、「オペラ座の怪人」を当日買おう、などと考えた私たちが阿呆でした(^_^;)。

ブロードウェイ
↑道の向こう側から見た、「オペラ座…」の大行列。こりゃ無理でしょう(^_^;) しかもこの日は、昼夜2公演で、開演20分前だというのに開場してないし。ということで、滞在中に見られるかなぁ? メトロポリタンオペラもやっていて、そっちも魅力的なのですよねぇ

2013_03
15
(Fri)15:34

from NY

 こんばんは(なのだな、こちら時間だと)。
 サマータイムが始まったので13時間の時差があります。

 ホテルに到着して、着替えただけでいきなりそのまま仕事だったので、さすがにバテてます。
 が、明日の準備もしなくっちゃね。

 旧知の方々に、別の場所で再会する感激というのはなかなかのものですが、皆さんも、NYは初めて、という方々が何人かいらしって、それはそれで興味深い。良いビジネスチャンスがあればよいのですが。

 マンハッタンにはブルックリンブリッヂの方からは入らなかったので、例の刺激的な吊り橋の景色は見られませんでしたが、トンネルの向こうにビルの島の見えて来た景色です。いやぁ、やっぱ凄いわ。↓



 このあたりは比較的落ち着いた街です。住宅も多く、中流の人々が住んでいるのでしょうね。
 マーケットも深夜まで開いてるとこもあり、なぁんとセブンイレブンもあった! 街を歩く時間はあまりなかった(元気もなかった)ですが、「きれいになった」との評判どおり、妙な緊張感は無くなったかなと思います。

 雪は降ってなかったですが、最低気温はマイナスを記録しました。でも私は寒い方が好きなので、ぱきっとして、また頭の中がしゃきっとして気持ちいい!

 さて、そろそろ寝ないと明日に差し支えますな。
 滞在中にUpできるかわからないですが、そうそう。N×Kが取材に来ていて、それがクラシック関係に行くとしょっちゅう会ってしまう旧知の記者だったので、いろいろ話を聞きました(逆取材?)。面白い企画番組があるかもしれないらしくて、決まったらまたご紹介できたらなと思っています。
2013_03
13
(Wed)23:17

出発できそうです。

 明日から、23年ぶりのニューヨーク。
 なんとか出発できそうな目途が立ってきました。明日の朝イチじゃなくてよかった。
 ヨーロッパ便と違って、帰りがしんどい。朝イチじゃなく、ほぼ夜遅くの帰着。次の日がなぁ~~すぐにアポイントが入っているんだべ。

 あちらで休む、というのはNYでは無理です。
 マンハッタンの橋を越えた途端、テンションが、ぐぐぐっと上がってくる。あれ、マジに本当ですよ。

 ニューヨークは、好きな人は本当に好きみたいです。私の周りにも結構いますし、そういう方々は、ヨーロッパよりもアグレッシヴで、自由で、深呼吸できるから良いといいます。
 私もある意味、嫌いじゃありませんが、仕事で行くのはしんどいねー。

 ただし。
 ヨーロッパよりも日本人のビジネスマンに感覚は近いんだけど、最近では、すっかりヨーロッパ風に慣れてしまったから、しんどいかもなぁ。
 でも、いろんな人と、今日になってようやくアポイントが取れて、「仕事」という感じになってきました。がんばろっと。

 行って参りま~す(^_^)。あっちからアクセスできればいいな。

…そういえば、まだ雪が降ってるのに「サマータイム」だそうです(笑)。
でも、花も咲いて、綺麗な季節だと地元の人が言っていました。
2013_03
12
(Tue)00:10

3.11、そして訃報。

 2年前のあの日、何をしていたか。
 FBで、身の回りの人間の、今日一日の話題で多かった。たいがいが少しずつ関わりがある人々しか「お友だち」していないので、たいていは、会社にいたりホールにいたりした。政治関係者もいないわけではないので、思い出すだに、大変だったろう。そして、様々な「祈り」が、1日、あちこちで捧げられている。

 朝、出勤しようとしたら、青山の、御所の向かいの某老舗菓子店に、半旗が上がっていた。
 最初は、「今日、旗日だったっけ?」「どなたか亡くなったのかな」と思い、それをあの日と重ねられなかったのだが、すぐに気づいた。そういう表し方もあるのだなと。

 東北大学を中心に、モーツァルトの「レクイエム」のコンサートが行われたそうだ。オーケストラと合唱団。そして一般の人々も参加して。同時刻に、自分たちを鼓舞するために、と伝え聴く。
 大自然の前に、無力な自分。社会的にも無力。何かやれば欺瞞の色が見えるのかもしれない。だが、気づくことはある。できることもあるのだから、自身が揺らぐことなく、できる人に手を伸ばすだけだ。

 偽善も善。
 という言葉がある。結果として、それが人を助けることにつながるのなら、やればいいのだろう。
 だが実際、災害太りではないが、支援の名を冠した行為も見ないではない。それは、自分の立場で見逃していてはいけないのだろう。

                  ・・・

 納谷悟郎さんが、亡くなられたそうだ。
 沖田艦長、、、いやそれだけでなく。アニメに興味を持たない私の周りの人々の間でも、訃報はさざ波のように広がっていったのだから、役者として、演劇人として、偉大な人だったのだと思う。
 ツレに帰り道、話したのだが。

 「第一艦橋やメインのメンバー、何人残ってるんだろう?」「30年経ったでしょ。仕方ないよ」「そうか、、、」

 お元気なのは、島大介、徳川機関長、(当時とても若かった)森雪。三人組=南部康雄、相原義一、太田健二郎はOK。あと、敵キャラは詳しくはわかりませんが、デスラー総統は、当時お若かったですが、物凄くご活躍中なのは誰もが知ってる事実。加藤三郎くん四郎くんもお元気の模様です。

 古代、真田、山本、沖田。・・・総帥であるプロデューサー、ヤマトを飛び立たせるエンジンであった作曲家。

 ご冥福をお祈りします。

2013_03
11
(Mon)00:57

一面にわかにかき曇り、、、

 いやぁ本日の都心部は凄かったですね。
 15時前後だったかしら。FBの仲間内で急にポストが増えた写真の数々。ふと外を見ると、真っ暗、ではないですか。よく見ると、空は暗いが、色は黄色に霞んでるんですよぅ。いったい何が、、、

 「黄砂」か? と思いましたが、違ったようです。ええ!? そしたらまさか花粉!?
 昨日はコンサートの本番で、昼から出ていましたから、ともかくひどかったのですわ。予想で、金曜日くらいから週末にかけて、昨年の1年分飛ぶ、とは聞いていて、団員たちも万全の対応はしてきていたのですが、、、コンマスがかなりひどくて、エキストラの方でもかわいそうな方がいらっしゃり、いや本当にひどくなれば、演奏などできないので皆、薬で抑えてはいるんですけどね、、、温度が変わったり環境が変わると出るからね。

 で、実は「花粉の飛来」でもなくて、「煙霧」というそうですね。
 寒冷前線が通過した影響で、降ってきたのだそうですが、、、黄砂でないってなると、どう見ても「花粉飛散」にしか見えん(^_^;)。いずれにせよ、2日間で空気中に撒かれまくった花粉が飛んでることには違いなく、、お出かけはパスにし(チアノーゼ起こしそうな人が身近にいるもんで)、お昼の外出も車とマスクとコートで防備して出かけました。

煙霧
↑オトモダチが某所にシェアしてた空の画像。すごいっしょ

 うちの方からも真っ黒な空が黄色くけぶっていまして。都心の方面の空の方が酷かったですね。
 車で出かけたら通りに人がいないいない。反対に、夕方から、とてもきれいな青い空が広がり、気温がぐっと下がって過ごしやすくなりましたが、そのあたりからやたら人が込んできました(駅周りとか商店街)。
 さらにさらに、日が完全に落ちてからは、「木枯らし」だもんなぁ。
 あぁ演奏会、昨日で良かった(昨日も花粉はひどかったのですが)。。。

 さて、多忙な一週間が始まる。
 皆さま、確定申告、終わりましたか? …私は今朝、税理士さんから連絡があり、すべて終了! と相成りました。よかったよかった。(^_^)

2013_03
10
(Sun)15:24

第五章間近>2199

 うはぁ、先行上映のご案内(プレミアム会員)も出たし、PVも公開されましたね。
 本番も終わったので、本日、覗いてみました。

 第五章PV

 なんぢゃこりゃ!!

 し、しししし島がっ!! 島くんっ!
 (あ、玲ちゃん&百合亜ちゃん、かっくいい!)

 島、あんたなにやっとんぢゃ。
 いくらなんでも、こりはないーー(泣)。

とまぁ、最初のショックが通り過ぎてみると、まぁ、、、仕方ねぇか(^_^;)。
石津版すか。
そーだよね、あの役割、原本どおり真田さんてわけにはいかないもんね。。。かといって新キャラじゃ説得力ないもんなぁ。
平田くん、活躍っ。

 しかし。しかししかしだよぉ?
 島くんファンとしては、やっぱちょっと、どうよ(;_;)。……とはいえ、早く観たいってだけです。どうなるのかなぁ。私はあんたを信じているからねぃ。だってさ、前回で徳川さんやら玲ちゃんやらと話して、「頭冷やした」はずだもんね。。。しかし、、、決定的な科白、しゃべっちゃってるもんなぁ(泣)。

 しかしヤマトは飛んでいるし、決戦も行われている。
 沖田艦長は陣頭指揮を取って、ドメルと戦っているわけだ・・・島もこのまま解任、とか軍法会議とか、逆にヤマトが大変なことになったってこたぁなかろう。

 やっぱ先行上映観に行くかなぁ。。。(泣)。
 これ、映画を見られない人にはムゴい予告ですよねぇ、、、sigh

 考えてみれば、あと3回でおしまいなんだな。そろそろ収束の方向に行かないとあとが薄くなっちゃうもんね。「ユキさんがイスカンダル人?」という科白も聞こえましたでしょ。煽るだけ煽っといて、映画&テレビで放映! うん。楽しみにしてます、はい。


 本編の素材を使って、ミスディレクションな、つじつまの合う、衝撃的な短いビデオを作る、ってのは予告製作者の腕のミセドコロだったりしますからね。見かけと「ぜ~んぜん」違う内容かもしれないっす(笑)。
 ということで、「早く観たいよ~~」って感じですねぃ。

                       ・・・
 昨日、オーケストラの本番があって、打ち上げで、うちのオケの(アニメ音楽)業界関係者と「ヤマト」の噂話。音楽、どこまでどう広がっていくんでしょうね? 私は笑っちゃうしかないんですが、ま、オールスターなんとかというのも面白いのかもしれません。

 それとは別に、ヤマトの音楽。【ここ】だけは、西崎おやじさんの基本を外さないで欲しいなと思います。
 主題歌はささきさんで、とか、歌い継がれる曲を、とかいうOPじゃないすよ。旧作の音楽を上手に使いまわせということでもないです。テーマを展開して全編を統一したサウンドで盛り上げる(<彬良さん曰くの)のはもちろんそうですが、あとは作曲家とかの意図とは別。
 戦闘や物語・台本の緻密さは凄いと思う。
 音楽も、その一部だから。
 心理や場面をどう作るか、「音」ってのはとても大きなファクターだから。ヤマトの持っている素晴らしい効果音、これも、科白とかぶったり、音楽とかぶったりしたら効果ないし。沈黙の使い方、間や物語のような音楽のフレーズ。それ、わかって欲しいよね。

 普通には優秀で、よく出来てると思うんだー。だけど、普通じゃダメなんすよね。そこが辛いんですけどね、私たちをそっちに叩きこんだり引っ張り込んだような、けん引力。ある意味、これは西崎さんて凄かったと思いますね。
2013_03
06
(Wed)10:34

探し物は何ですか!?...

 このタイトルにメロディが付いちゃう人って、世代がわかるよなー★
 つか、私は陽水って大ファンだったし、今でも大好きで天才だと思っています。最初の3枚のアルバムは、逸品。新宿に、こういう音楽を聴かせてくれるバーがあって、知人に連れていってもらったんだけど、そこですごく久しぶりに聴いて、やっぱすごいよなーと思った。
 そういえば中学生の頃。おこづかい貯めて買った最初のLPは、この人のだったはずだ。なんか大人になったような気がした。中学生の頃は、それこそ夢中になったし、また時期を空けて80年代半ば、『9.5カラット』は、本当にもう、何十回聴いたかわからないな。。。

 その、「出会い」の曲がこの曲で、合唱部に入ったばかりの頃、上級生の先輩たちがバンドで歌っていたのである。つい、口ずさんでしまう。周りもみんな、そうだし(笑)。

 とか、つい思い出話を書いたが、ちがう。
 探し物をしている話です。

 昨日、FB友だちが、SUICAを失くした、という話で盛り上がった。
 笑いごとではないのだが。本人の必死なこと、というのは周りから見れば、気の毒やらなんやらで喜劇でもあったりする。
 幸い、謎の場所から見つかったのだそうだが(ふだん着ないコートのポケットに入っていたんだと)、その間、コンサートホールか飲み屋に電話かけまくったそうだから(<行動半径が一緒やね・笑)、そりゃ大変だっただろう。財布は別として(時には財布すら)、定期券やらなんやらはコンサートホールでは、見つかるケースが多い。コンサート終了後は、ホールの係員がすべての座席の周りをチェックして、落し物、危険物その他がないかチェックしているし(考えてみれば危険物があった場合は、こういう係の方は真っ先にアウトですね、、、ううむ)、落し物は集められてホールに保管される。同じ事務局なので、鉄道みたいに「集荷係んとこへ行っちゃって三日先でないと確認できない」ということもない。また、お客さんがたいてい届けてくれているので、「しまった!」と思って連絡すると、たいてい出てくる、、、傘は除く。

 まぁ彼の場合は、SUICAそのものよりも、印字した履歴を一緒に入れてあったのがマズかったらしい。最近では、それを張り付けて交通費の請求書にしているとこは多いと思う。出さないと、交通費がすべて自腹になってしまうのだ。。。こりゃ痛いでしょう。どちらか残っていれば、使えたのにね(笑)。
 幸い、無事、事なきを得たのだが。
 その時の社長のコメントが笑った。「あら、もう見つかったか、、、」だった。爆笑。

 私も失くしもので、困ったことになった。
 いやもう困ったことになった。ふだんは絶対にそんなことはあり得ない、見えるところにいつも置いておくのだけれど、新年からこっち、よほど疲れていて、会社から家に帰ってからの記憶というものが、ほとんど無い。寝落ちじゃないけれども、「もうだめだ」となって布団にもぐって眠るまで、帰ってから「何をしてる」は覚えているけど(こうやってblog書いてたりするし)、自分がどこに居て、どういう作業をして…という生活部分はまったく記憶に残らないので、もうほとんど夢遊病みたいなものだ。
 カイシャでも、仕事のこと以外のことは、ほとんど覚えていない。
 仕事のことも、先のことはさすがに、アポイントその他、メモを取ってなくても(もちろん日程表は書いてあるけど)覚えているが、終わった途端にどんどん忘れていくので、記録を撮らないとマジでやばい(けど、こっちは取ってない。時々思い出したように書こうと思うけど、その時間がない)。

 まずいなー。
 見つからないと、取り返しがつかない。

 で、探すために一日、予定を変更した。

          ・・・

 朝、今日は一日ダメな日だ、、、(夜の仕事だけは外せなかったのだが)と思っていたけれど、無事見つかりました。アメリカへ旅立てるかどうかは、神のみぞ知る。。。
 はい。
 見つからなかったのは「パスポート」でした。証明書類を作成して貰うのに、そろそろ日程がデッドラインなのでした。。。さて、シゴトしよっと。
 そして、確定申告も終わったのだよアケチくん(^.^)ふっふっふ♪ あとは。。。週末の本番だな(>_<)。

 ちなみに、最初に出てきた曲名は「夢の中へ…」です。悪しからず。
2013_03
05
(Tue)12:32

マーラーだー。

 今週末には本番だとゆーのに、練習が不十分で(やってないわけではないのですが、もっと詰めたい!のですねぇ本番前は)自分的に、イマイチ不満な管理人です。練習は嫌いです。しかし、練習をきっちりして身体や頭が仕上がっていくと、できることが増え、音楽になっていくことは本当に楽しいです。楽しいっつか、ある程度のとこまで持っていくのは義務だろーよ>自分。
 なのですが、言いたかないが忙しい。
 ようやく昨夜、「確定申告」一式が終わりました。税理士さんにお届けして、はい、お仕舞い。数日は電話かかってくるよな~~(^_^;)あうあう。ここ数年は、あんまり「あのー(-_-)」と、ド暗い声でかかってくることはなくなりましたが、、今年も3/15より前に国内から居なくなっちゃうので、焦る。いつだったか、ぎりぎりに送りつけたまま、成田空港で電話受けて、えっらい怒られたことあったもんね(<当たり前だ)。

                     ・・・
 さて忙しいのにはワケがあります。
 来週後半から、また海外っす。今年はもう秋まで行かないだろうと思っていたし、どうせ秋に行くさきは、のほほんとイタリア(爆)。。。最近は行く先も固定されてきて、ちょっと足を延ばしてもドイツ語圏のどこかなので、あまりしんどい、ということはなくなっていたのですが。。。
 久々に、ヨーロッパでない国に! しかも、急だろそれは(-_-)。

 とっさに、「行くのなら、あれもこれも!」という用件が思いつかないほど、縁遠い国でございます。計算してみましたら、最後に行った(といってもあれが最初だったんだけど)のは1990年。なんと、23年ぶり! まだあの頃は友人が大学院を卒業したばかりであっちに住んでて、WTCのツインタワーも立ってたし、そこにお買い物にも行ったさ。……さて、どこでしょう。

 うぎゃ~~~っ! と内心は騒ぎながら、もはやどーにでもしてくれな気分。
 まるで別の街のように、様子が良くなったそうですが、問題は飛行機だな。。。面倒だよぅ。それに、治安が良いといったって欧州のようなわけにはいかない。道で無造作にカメラ向けてしまうクセはなんとかやめないと、危ないっすね、マジ。

 ということで、来週後半からおりません(_ _)。帰ってきたらそれはそれで、、、寝るヒマあるのか? 行く前までも毎晩毎晩予定が詰まっていて(打ち合わせや飲みじゃないっすよ、仕事。毎日0時前に家に帰れない)、う~ん、、この年齢の人間にやるこっちゃねーぜとか思っています。

 でもまぁ最近、よく、寝る(笑)。
 さーてねぇ。今月後半、どうなることやら。
2013_03
02
(Sat)23:46

風が吹くと……春の防災と火事

 某サイト管理人のポ〇〇ちゃんが、とっても某俳優さん(別い伏字にしなくてもいいんですが)の大ファンなのは、blogを見ていればわかる。その「エンケンさん=遠藤憲一」が、今年の春の防災のポスターになっており、先般は新宿消防署で「一日署長」を務めて、訓練の指揮をしたりした。画像を一瞬見せてもらったが、別にファンでもなんでもない私が見ても、超・カッコいい。

 そして。当然のことながら、防災ポスターは、彼を先頭に三角形に整列した隊士の人たちの制服姿。これまた、相当にかっこいい。

 ポスター欲しい~~と彼女は騒いでたようだが、どうやら入手した模様。
 で。気にし始めてみると、やたら通勤・生活圏内で、そのポスターが目に留まる。目線が強いのでしょうね、、というのもあるけど、結構、貼られているようだ。どのくらい配ったのかしらん?

             ・・・
 「防災の日」は9月1日である。
 その日はたいてい、どこでも「避難訓練」をする。それに加えて、春の防災週間というのもあり、現在その最中だというわけ。
 9月の方は、関東大震災の教訓から得たものだそうだが、春は特に理由があるのかどうかはわからない。ただね。

 昨日、「春一番」吹いたですよね。
 今日も風が強かった、、、当然、火事は増える。。または、火事になったら被害が大きくなる。

 今日、午後6時すぎ。渋谷駅を通過した。
 正確にいえば、18時30分すぎに東横線を降りたところで、構内に火災報知器かなにかのベルが鳴り響き、急ぎ足でハチ公側に抜けたかった私は一瞬、躊躇した。
 幸い、人はイモ洗いってほど多くはなく(それなりに込んではいたが)、ベルががんがん鳴っているのに、人々はざわざわしたり好奇心たっぷりの目線を向けるだけで、構わず構内に入っていく。。。本気か?

 改札を出たところで迷ったが、回り道をすると時間がかかりすぎる。
 柱の半分は、なんだか空気が濁っている気がしたのと、においが若干あったので、ともかく反対側を通って構内を抜けた。
 抜けたところでロータリーに消防車が入ってくるのに遭遇。あぁ、このために来たのだなと思いつつ、信号を渡って、少し回り込んだところで見ていると、消防車はこちらへ回ってくるではないか。そうして、ばらばらと隊員さんが降りてきて、商店街のビルを見上げているのだ。

 そういえば、、、不謹慎なので写真は撮らなかったけど、あぁいう格好してらっしゃるのねー、と思った。若い人が多かったな。

 ぐるぐるとビルの下を歩くが、駅の方の火事は? それともあれは火事じゃないのかしらん?

 ネットで少し調べてみたら、渋谷駅は最近、不穏らしいですね。行かないこともあり、ぜんぜん知らなかった。
 急いでいたこともあり、そのままオーチャードホールに向かったわけだけど、消防車に続いて、救急車、そうして音は出してなかったが赤灯が回っているパト車も来ており、けっこうな体制である。
 時刻は18時44分。……ネットを見ても見当たらないし、どなたか何があったかご存じなら教えてください。

 同時に不審火、ということだったら、、、ちょっと事件だよなぁ。
 そうでなくとも風が強い。乾燥しているので、気を付けないといけない。先日も、地下の飲食店が燃えたばかりですしね。