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2016_12
06
(Tue)17:45

天才という少女

 “天才”といわれる人たちの演奏を聴いていると、それが例えばCDとかだと、演奏者の年齢を忘れてしまう瞬間がある。
 音楽というのは、その人の経験や感性やその他・・・が如実に表れるものなので、例えばベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲などは、差別発言じゃーと言われるのを承知で言うと、「女・子どもの弾くもんじゃねーよ」とある人が言っていたりもするわけだ。
 だからといって、無駄にトシ取ってても仕方ない。それは「馬齢を重ねる」とゆーんだよ、才能ないって気づけよ、とか私が言っちゃいかんか。

 いや、自分が「才能ないし」と気づいて演奏活動からは足を洗った人間なもんで(その分、アマチュアとして楽しくやってるので、それはそっちの方が幸せだったんだろう)、やっぱり、【才能】には弱い。これは、芸術芸事に関わりのある人間はみんな、そうだろう。そうでない人だって、圧倒的な才能には惹かれるんだから、少しでもその世界を知ってる人間には、もう、腰砕けなんてものじゃないに違いない、とも思うんだよね。

 で。
 自分の耳にはある程度自信があったりする(経験値ともいう)ので、作られた才能には興味がないんだけれども(興味はないけど仕事はする。そりゃーだって仕事だもん)、稀に自分が惚れちゃう人もいるわけで。
 ただその極端に反対の人・・・努力することで才能を開花させていくタイプの人・・・これは、年を経るごとに一つずつ扉を開けるように実力を増していくタイプ。著名な日本人でも何人かそのタイプの人がいると思う。
 わかりやすい例でいえば役者さんなんかにもいますねー。で、私は実はこのタイプに弱い。ファンをやっている相手は、ほとんどがこのタイプ。その進化というか変化が面白くてファンをやっていたりもしますので。

 ただなー。
 こういうCD聴くとなー。
 17歳のムスメとはとても思えない表情がふっと音にあるわけよ。いくつだキミは。と思ってしまうわけよ。某「真田丸」を弾いている彼が18歳で出てきた時も、そう思ったけどね。

 マンガや小説の世界ではないけれども、世界中のコンクールとかで会う彼女たちは、それこそまだ年齢一桁のチビの頃から、自分の意志でヴァイオリンを構えている。環境ももちろん大事だけど、時折、垣間見える輝き、というのに人は魅せられるのだろうかね。
 天才の大量生産には興味がない。だってねー、仕事で会ってる人、ほとんどが才能の塊みたいな人たちなんですからして。その物凄い世界の中から、さらに図抜けていく人/もとからずば抜けている人というのがいるわけで、これが普通の子にも起こるところが、クラシック音楽の世界と異なる、芸能界とかの魅力なのかもしれないすね。

 この彼女は環境の産物ともいえる天才。音楽一家として著名な4代目。曽祖父は歌謡の時代を作った一人、服部良一。祖父が服部克久、そして父は今年の大河ドラマ『真田丸』の作曲家でもある服部隆之、母エリはヴァイオリニストだ。小学生の頃からコンクールの常連、中学生で世界的コンクールのジュニア部門で優勝、また各国を演奏活動で飛び回ってきた。現在、高校生。・・・こう書くと「すごいね」となりそうだけど、個人的な印象では“意志の人”。話をしたことはないけど、小学生の頃から見聴きしてた印象。さてどんな音楽人生を歩むんだろう。先週、リサイタル。2016年10月、CDデビュー。

 服部百音(もね)*ヴァイオリン
  /ワックスマン「カルメン・ファンタジー」 ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
  /ブリバエフ指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団

 このショスタコーヴィチが凄いよ。