free:★blogというもの。
…ついでに、先般「追記を読む」に書いたことをこっちに持ってきてみた(笑)。
blog形式というのは便利なだけに、いろいろな使い方がありますな。
「ネット上の膨大な日記群」といわれた“ホームページ”ですが、これが「weblog」が米国から入ってきたときに、正直、最初は「使いにくいなぁ」と思ったのですが、ある時期から爆発的に普及した。…それも一般の、なかなかネットやパソコンに慣れない人たちがどどっと参入した時期だったようにも思います。
そうするとこれが「使い方次第」ということがだんだんわかってくる。すごいですね。
便利なコンテンツであることは確かで、使う側(=ユーザー)がいろいろな使いかたをすることで、さらに技術的にもいろいろ拡がったなと思います。その頃わたしは、ちょうどIT業界から足洗った頃で、デジタルコンテンツを研究する仲間うちの勉強会なんかで、そういう話をよくしていました。
習うより慣れろ、じゃないんですが、やってみるのがいちばんよろしいんです。さらにハマってみればいいんですな。それで仲間たちと一斉に始めてみたものの、私にはあまりこの「blog形式」は向かなくて、2003年ごろに(形だけ残して)一旦、撤退したのです。
・・・
実際、「リッパなメディア・情報源」として存在しているblogもいくらも存じ上げています。個人でこんなに凄いことできるんだ…多かれ少なかれ、それを発信しておられる方は、人としても魅力的(お友だちになりたいかどうかは別問題として・笑)。
もちろん、blogを利用した「ネット媒体」と呼べるマガジンなんかも存在しますね。
あとは、企業体がPRを兼ねて社員など複数で展開しているもの。これもコンセプトさえきっちり作れば、なかなか手作り感もニュース性もある面白いものができるようです。
ほかにもコミュニケーション系サイト。
特に、一つの目的から派生したグループ(例えばわれわれの場合はヤマト)などの場合は、メンテナンスがラクということがあって、blogというのはなかなか良い媒体だと再発見しました。それを、現実に教えてくれたのは某三日月さんです。
・・・
私、blogまで下書きなんぞしませんです。
だだっと書いて、あとから修正します。日誌みたいなものですから。もちろん「これはアーティクル」という場合は別で、下書きすることもありますけれども。
メールや手紙、日記は下書きしないでしょう? (わが師匠は、「するべからず」と仰った)。アーティクルは推敲しますが、blogは「その時のその時間」・・・これは私の考えで、新月の方針。ただそれだけです。いろいろなblogがあって良いと思いますし。だから消えたり出てきたり、方向が変わったりすることもあるでしょうね。
休止、という時に、いっそ閉じてしまって、別の方向でやり直そうかとも思ったんですが、それはやめました。一つには面倒だから、ですけど(笑)、もう一つには、そんなんでいいんじゃないのか、と思ったからです。残すほどのこともありません。このへんの記事も、時期が来たら「読めません」行きです。
私はふだん、仕事場や家にいる間はほとんどネットはつなぎっぱなしで、合間でちょこちょこと覗いた時に、しょっ中、変えたり弄ったりしてます。アップした話でも気が向いたら修正することがあったりしたわけで、これは本職の反動だろうきっと(笑)。なので、blogなんかはその典型です。
ですから1本1本まとまった記事を上げておられる方はエラいと思います。
だからblog休止した際に、あとでコンテンツ別に残すべきものだけ残して置こうと思って見返してみると、「うわぁ」というくらい役立たず(笑)。【旅行記(というより主に写真の方ですね)】と、【blog連載】くらいですか。読み返しに耐えられるものといえば。
「復活篇」情報ページに「図書館」がデータを収載したいということになってるのですが、やはり読み返してみると、とても情報としてはお話になりません。ちょっとお時間くれ、ということになっているのはその所為です。
とまぁこういう事情があるので。本当に、これ「書いてるだけ」です。
毎度ご訪問いただいている皆さま、ありがとうございます&申し訳なし。
blog形式というのは便利なだけに、いろいろな使い方がありますな。
「ネット上の膨大な日記群」といわれた“ホームページ”ですが、これが「weblog」が米国から入ってきたときに、正直、最初は「使いにくいなぁ」と思ったのですが、ある時期から爆発的に普及した。…それも一般の、なかなかネットやパソコンに慣れない人たちがどどっと参入した時期だったようにも思います。
そうするとこれが「使い方次第」ということがだんだんわかってくる。すごいですね。
便利なコンテンツであることは確かで、使う側(=ユーザー)がいろいろな使いかたをすることで、さらに技術的にもいろいろ拡がったなと思います。その頃わたしは、ちょうどIT業界から足洗った頃で、デジタルコンテンツを研究する仲間うちの勉強会なんかで、そういう話をよくしていました。
習うより慣れろ、じゃないんですが、やってみるのがいちばんよろしいんです。さらにハマってみればいいんですな。それで仲間たちと一斉に始めてみたものの、私にはあまりこの「blog形式」は向かなくて、2003年ごろに(形だけ残して)一旦、撤退したのです。
・・・
実際、「リッパなメディア・情報源」として存在しているblogもいくらも存じ上げています。個人でこんなに凄いことできるんだ…多かれ少なかれ、それを発信しておられる方は、人としても魅力的(お友だちになりたいかどうかは別問題として・笑)。
もちろん、blogを利用した「ネット媒体」と呼べるマガジンなんかも存在しますね。
あとは、企業体がPRを兼ねて社員など複数で展開しているもの。これもコンセプトさえきっちり作れば、なかなか手作り感もニュース性もある面白いものができるようです。
ほかにもコミュニケーション系サイト。
特に、一つの目的から派生したグループ(例えばわれわれの場合はヤマト)などの場合は、メンテナンスがラクということがあって、blogというのはなかなか良い媒体だと再発見しました。それを、現実に教えてくれたのは某三日月さんです。
・・・
私、blogまで下書きなんぞしませんです。
だだっと書いて、あとから修正します。日誌みたいなものですから。もちろん「これはアーティクル」という場合は別で、下書きすることもありますけれども。
メールや手紙、日記は下書きしないでしょう? (わが師匠は、「するべからず」と仰った)。アーティクルは推敲しますが、blogは「その時のその時間」・・・これは私の考えで、新月の方針。ただそれだけです。いろいろなblogがあって良いと思いますし。だから消えたり出てきたり、方向が変わったりすることもあるでしょうね。
休止、という時に、いっそ閉じてしまって、別の方向でやり直そうかとも思ったんですが、それはやめました。一つには面倒だから、ですけど(笑)、もう一つには、そんなんでいいんじゃないのか、と思ったからです。残すほどのこともありません。このへんの記事も、時期が来たら「読めません」行きです。
私はふだん、仕事場や家にいる間はほとんどネットはつなぎっぱなしで、合間でちょこちょこと覗いた時に、しょっ中、変えたり弄ったりしてます。アップした話でも気が向いたら修正することがあったりしたわけで、これは本職の反動だろうきっと(笑)。なので、blogなんかはその典型です。
ですから1本1本まとまった記事を上げておられる方はエラいと思います。
だからblog休止した際に、あとでコンテンツ別に残すべきものだけ残して置こうと思って見返してみると、「うわぁ」というくらい役立たず(笑)。【旅行記(というより主に写真の方ですね)】と、【blog連載】くらいですか。読み返しに耐えられるものといえば。
「復活篇」情報ページに「図書館」がデータを収載したいということになってるのですが、やはり読み返してみると、とても情報としてはお話になりません。ちょっとお時間くれ、ということになっているのはその所為です。
とまぁこういう事情があるので。本当に、これ「書いてるだけ」です。
毎度ご訪問いただいている皆さま、ありがとうございます&申し訳なし。