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2010_12
06
(Mon)21:08

Space Battleship YAMATO観たよ(1)/前提

 ワタクシ、以前から表記を↑こうしておりますが、実はこれ、正しくありませんです。本当は「SPACE BATTLESHIP ヤマト」なんですよね。大文字読みにくいんで(笑)。

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(( ネタバレ、1箇所ですが根本的にネタバレしてますので、ご注意。))

 『復活篇』の時は、“応援したい”が前に出て、一緒に走ってきた感があり、11月某日に試写会があって、12月某日に“発進”した時に、手を振って地球から見送ったような気持ちになった。だがこの映画はまったく別の角度から「応援」もしたし「期待」もし、また映画の作中で言われたように「希望」も託している。ましてや原作者であり産みの父である、西崎Pが急逝してしまわれた今となっては…。

 私はこの『Space Battleship YAMATO』に関しては、何か感想を述べることに意味があるのだろうか? と自問自答している。何故ならね、おそらく私は、“ヤマトであれば何でもいい”んです。この「ヤマトであれば」の部分へのコダワリは相当キツいとは思うが、アウトプットをアニメとか原作のクオリティに“どこの部分”をこだわるか、がどうやら初日オフで皆さんと話していても、今日、映画終了後に友人と会話していても、ヤマト仲間のごく親しい人たちと話していても、根本的な部分で【私が】ズレている。。。

 ある程度わかっていたことで、それは何だ、といえば。私はおそらく、「アニメ」より「映画」の方が好きだったりする。映画よりさらに舞台の方が好きな…基本的に“板付き”人間だ、ということだ。ステージパフォーマンス、ではないが、人が精神と肉体の力を駆使して、全身で見せ・聞かせ・演じるものに限りなく惹かれる(だからダンス・パフォーマンスなどは大好きである)。そういった意味では“正しいアニメファン”では無いから。(もちろんある種のアニメファンではあって、ある部分は一種のヲタクでもあると言われますが。)

 だから、脚本が良くて俳優の芝居がよければ、アニメは飛んでしまうわけで、もちろんそこに【原作の魂・核】が存在していることが原則で絶対なのであるけれども。
 もう一つ言えば聴覚主導型人間でもあって、さらに物語絶対主義。最初にヤマトに惚れたのが『ラジオドラマ宇宙戦艦ヤマト』であった。…そこに、アニメは存在していない。脚本と、音楽と、声優さんの芝居しかなかったのである。そんなわけだから「私がヤマトの何に惚れたか?」…再々放送と「さらば」の季節。少なくともアニメの絵ではなかったはずだ。

 もちろん、それがいきなり実写だったら夢中になったはずもなく、まさに“アニメだったから”ここまでハマったのであるし、古代進に惹かれ、島大介に惚れ、加藤三郎に恋することもなかったであろう。さらにBT/CTの艦載機群に血が沸き、宇宙空間に憧れ、ガミラスやその他のメカ・敵設定に涙を絞ることもなかったに違いない。
 あり得ないものを描写できる「画」だったからこそ、ここまで深く引きずり込まれたのではあった。

 だけど。
 もちろんこの作品は、「ヤマトを愛するスタッフ・キャストが作った、最高のスピンアウト作品」と私は受け取った。同じプロットをベースにして書かれた朝日ソノラマ版・石津嵐版がベースに蘇り、そのSF的容赦無さが、作品を緩くしないために効果的だったとしても。随所にそのレスペクトを感じる、という意味では、「わかるわかる」と思って、同じ方向を向いているように錯覚してしまうのだ、出演者や制作者が、我々視聴者と。

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 何から書けばよいのだろう。
 そう思って混乱するほどに、語りたいことが山とあるような気もし、何も言う必要がないような気がした。最初に実写化の話が出た時に、「え~!? 勘弁(;_;)」と思ったのは私も同じ。主演についても同様。しかし、彼の随所で漏らした(おそらくは)“本音トーク”によって、「そんなに演りたいんなら、いいんじゃないの」と思ったファンが大半だろうし、もちろん私もその1人だったりする。
 同じファンなんだから。
 少なくとも、真剣にやるだろうし、緩いことはしないだろう……反面、不安はもちろんあったが。

 古代進@木村拓哉氏については別項にしたい。

 ただし、「よくも悪くもキムタク映画だった」とは言えるのではないか。そんな風にも思う。それで【善かった】のだ。彼は艦長代理で、主人公で、地球を護って、森雪を愛して、ヤマトと共に逝ったのだから。

(続きます…)

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