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2010_12
10
(Fri)21:23

SBヤマト 観たよ(5)/おやぢが支える世界

(( ネタバレ満載 ))







 『踊る大捜査線』のパートII「レインボーブリッヂを閉鎖せよ!」で、ラストシーン・青島刑事が、“組織やシステムにこだわらないから捜査網を潜り抜けてきた”犯人たちに言いましたな。
 「リーダーが優れていれば、組織も良いものだ」
それは柳葉さん演じる室井管理官が捜査の指揮を引き継いで、犯人たちを追い詰めることができた直後、青島の手を振り切った犯人の前に別の部隊が下りてくる、あの名シーンです(レインボーブリッヂの向こうに浮かび上がるヘリコプターの光。絵がキレイでした)。
 そういった意味では、『Space Battleship YAMATO』は、「優れたリーダーたちの物語」でもあると思う。
 それともちろん、「優れた脇役たちの物語」でもあるんだけど。

 原作は、余計に“年配者が導き若者たちに託す”というメッセージがもっと強かったわけだけど、今回の「Space Battleship YAMATO」でも、支えるおやぢたちがひどく感動的。漢(おとこ)だよー、と思う。

 藤堂長官@橋爪さんがいいよね~~! と誰かと盛り上がった。
 「沖田をリッパな人間にはしたくなかった」と、山崎努さんは某誌のインタビューで語っていた。
 「お前さん、そういうとこも(艦長の若い頃に)似とるな」と、徳川機関長@西田敏行は古代@木村に語った。

 最初の火星会戦のシーンで、まずもう涙、なんですけど。それでタイトル文字が金でばーん!とくるとこは、あの音楽が被って「もうだめ」なんですけど(笑)。
 これもどなたかが言ってらっしゃいましたが、地下都市への藤堂長官のメッセージ、これは凄く良いシーンだ。もちろんオリジナル(も一ついえば、古代の部屋にパーンして、そこから物語が始まる。古代が歩くにつれて地下都市のスラム街の全貌が見えてくるあのもっていきかたは、SF映画チックで最初に度肝を抜かれるシーンでした)であって、原作にはないんですけどね。
 原作は“すでに選ばれた人々”をチョイスして宇宙戦艦ヤマトに乗せたわけだから。古代や島は、これが“地球脱出船計画”だった頃からの、先導役・部品として育成された若者だった。

 志願兵を募ること。興味無さそうに聞きながらもやさぐれた調子の古代が一番後ろにいて、それを聞いている。「そういうことを言っていられる状況じゃ、ないんだっ!」淡々と話していた長官がそう言い切る処に“生身の声”を感じる。
 それと、岐阜のダムで撮ったというヤマト建造工場でのシーン。沖田と藤堂の会話、、、そうして、それがすべての伏線になるわけですよね。

 最初に一番、シーンとして感動したのは、波動砲による爆撃の煙の中からヤマトの艦首が浮かび上がるところです。うわぁ引っ張るなぁ、と思いながらその沈黙の司令室にわれわれはいるわけですが、そこに現れたヤマト、それを見た司令室の人々の感動が、そのまま伝わってきた。緊迫の演技でしたね。

 これは原作そのものなんだけれども、地球人の願いというか。決死の想いというか。山崎-橋爪のこのやり取りが物語に重みを与えていたというか。

 同じように。地球だ、と沸き立つ艦橋で、橋爪さんの声が「ヤマトか!?」と降ってきたときの感動。
 地球を視認して騒ぐ第一艦橋(その時点ですでに生存者37名…)に入電する藤堂@橋爪長官からの声。…このシーン、凄いなと想ったのは、橋爪さんて「声だけ」なんですよね。最初の部分は。それで見せているのは艦橋のメンバーの様子。この古代@木村は秀逸だと想った。喜び、誇らしさ、感動、それと同時に、よくやったといわれ、そのために失った仲間たちの痛みを抱えていることがわかる(伝わってくる)んだから。その表情と目だけで。
 声だけで藤堂長官がどれだけ待っていたかわかる。そうして写った通信機の向こうの長官。感動の場面だなぁ。

                     ・・・
 西田さん演じる徳川さんは、原作にかなりイメージが近いですが、藤堂長官と沖田艦長は、魂は同じでも相当に人物像が違いますよね。それが俳優さんの芝居だし、映画の面白いところだと思いました。そうしてだからこそ説得力がある。
 藤堂さんのことばかり書いてましたが、沖田艦長@山崎努はまぁさすがというべきか。どっちかっつと情けない部分とか表に出してますよね。頑固だというか。だけど、凄いヒトだ、というのがひしひしと伝わってくるじゃないですか。
 この物語の主軸に、沖田-古代 の関係の変化というのがあると思うし、艦長室での二人のやり取りは、感動的ですらある。動きのない芝居だけど、木村、上手い、と思ったのは実はこういうところ。それと「お前」から「キミ」に変わる瞬間。彼は秘密の重荷を、古代に背負わせる決意をした。命令で艦長代理をやっていた間は迷っていたんでしょうね。

 原作にはなかったけど、「指揮をしたことのない人間には、この重責は理解できん」だったかな、全体を守るために小を切り捨てたことに悩む古代に言う科白だけど。これを最初私は説明的だから要らないんじゃ、と思った。それが自明の理、すぎたから、あれれと思ったわけなんだけれども。
 「古代に」その時、この言葉が必要だったんだろうな、と思ったのね2回目見た時に。そうして、「キミも共犯者になれ」という意味だったと思う。現に、ガミラスからイスカンダル上空で攻撃を受けたあとの実験室で、「艦長に聞きにいく」と斉藤が、真田が、島ですらそう言うのに、ただ黙って彼らを説得する古代は、もちろんその“艦長のウソ”をその時点で知っていたわけだし。
 おきたは幸せだった。あんな部下(弟子?)を持てたのだから。なんと幸せな艦長だったんだろう。

                 ・・・
 この3人もそうなんですがね。
 藤堂長官の二度の演説を聞いていて感じることがあったのは、日本の(ってこの作品は限っちゃってるからさ)おやじってこういうもんだったんじゃないかと思うわけ。カッコ良くないし、スタイルもよくないし、一見、情けないように見えるけども。だからこそ、の底の方に、それこそ“大和魂”を持っておって、負けない。
 これは松本霊士が自身のマンガの中で繰り返し書いてきたテーマですよね。大山トチローしかり、星野鉄郎しかり。「ザ・コックピット」に出てくる無名の技術者やパイロット然り。ヤマトは確かにその延長上にある。
 こういうの、漢(おとこ)だなって思うわけで。古代だって島だって、最後はそういう漢になるわけです。まぁ森雪なんてはね、女だけどそういう意味ではオトコですな。

 だから、こういう部分でもこの作品、原点回帰なんですよね。『ヤマト2』も『ヤマト3』も、『完結編』も、そういうものはなかったですよね。ただヤマトだけが「伝説」として、「戦神」として突出していく(地上/地下戦があった『永遠に…』だけは少し違ったけども)。
 日本て国は、そういう人たちが支えてきたんだなぁと思うんだし(軍のヒトが、っつ意味じゃないすよ)。こういうおやじが次の世代になって絶滅しちゃったら、日本も終わる。こぎれいなオトコノコばっかじゃダメでしょう。まぁそれは、(極論いえば)女の責任かもしれないけどですね。

 ノベライズの中に、佐渡先生が古代にぽろりと漏らす科白があって、ちょっと感動。
 「沖田艦長? 尊敬しているし、好きよ。艦長としても……男のヒトとしてもね」(<このままかどうか忘れたけど)。おお! オトナな発言だ。気丈に任務をこなし笑顔を絶やさず口数の少ない佐渡先生。しっとりとした笑顔でそういわれて、古代、びっくり。だろうなぁ、でもとても魅力的。もう少し尺に余裕があれば、そういう雰囲気も観たかったような気もする。

                    ・・・
 余談ですが。劇中で放送されていた「志願兵」の条件……「軍経験者、航海の技術を持っている方、科学調査・研究などに携わっていたヒト…」そこくらいまでしか聞き取れないんですが、、、そうだろうよ。こういうことになると、私らみたいなしょーばいは一番役立たず(笑)。
 大学の文学部入学式で学部長が曰く「…われわれは世の中の(直接には)役に立たないことを学んでいるわけです。戦争などになったら真っ先に切り捨てられる。だから平和な世の中のためには必要なんですよ」みたいな。
……まぁ、役者さんも役には立たないですけどね(笑)。

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