職安/O野和士の指揮やらO澤の中国公演降板やら
ここのところ、頭があんまり回っていない。
今回の仕事の「山」があんまり高かったもので、放出しすぎて「空っぽ」になっとりますー。休んでも休まないし、いやまぁなんだかかんだかありますし。
というわけで、blogは開店休業で、連載ばっかりだもんなー。
それもまたどうよと思いますので、久々にblogらしきことも書いてみようかと思う。
どうせ愚痴です。また一人辞めたので(泣)、、、さすがにこうなると自分の所為かなとか思ったりして落ち込む。
人の心根だけはどーにもならんが、この仕事、われわれは叩かれても(精神的にだ)、罵倒されても(実際に)、言い返せるまでがんばるのが普通だったし、そうでなければ「やめれば(仕事そのものを)」という時代。それは今でもおんなじだろうというのは、こういった仕事をやりたい人の数の多さでも想像できよう。だけど、世代の違う「デキる」人って、本当に少ないんだぞ~~~。いるにはいるけど、みぃんな仕事先にちゃんと収まっていて、聞くところによると「不況なんで。仕事なくなると力あっても辞めて故郷へ帰ったって人も多い」んだそうで。昔みたいに「手が足りない~~助っ人!」というパターンがなくなった。
お金なくなると電話して「またたこ部屋行くか」ってノリ、、、それもないか。
いま、動かない、ネットで探す、きちんと調べられないようなモンでも使われるからなー。それで全体の質落としてりゃ世話ねーぜ(<と怒る)。
ともあれ。
どの業界でも「雑用」ってのは大事なんだよねー。雑用がきちんとできればたいていの能力は持ってるとおもわれる。あとは電話の取次ぎとか。社内で交わされている会話は、耳に入っている範囲できいておいて、何かあったらつなぐ。わからなかった予備知識を入れておく。じゃないと、ばんばん名前のある人から(こういう人=著名人 は苗字くらいしか名乗らないので、たいへん失礼なことをすることになるのである)電話かかってくるような仕事場に、あぶなくてアルバイト置いておけない。
で、雑用をお願いして、あれこれって指示して、空いてる時間はこれこれやっといてね、と言っておくと、やめる。雑用のやり方とか、質問の仕方とか、日報とか見てて、こちらは割り振りを考えようと思っていたりするのだが。しかも、専門的なことは教えなければならない。それの項目について言うと、「××は出来ます」はぁそうですか。出来るんならやってもらおーやないか、、、とは思わないけど、「出来ます」というと、それをさらに、「それではあかんからこうやって」とは言えないであろう。私はその意味では、私らがぺーぺーの頃、怒鳴り倒してくれた先輩がたほどには親切でも厳しくもない。結果みて、あかんかったらあかん、と言って、「原因考えよ」と言う。大人だから、、、と思ったりするのが間違いかい? こっちだって我慢してんだけどねぇ、待つのってたいへんなのよ、それが商品なんだから妙なもの出せないから。
ということで、職安に行ってみたりもした、、、ひゃぁってくらい人の山。不況なのね。…しかも働き盛りって年代の人もけっこう多い。
ほしい人材がいて。喉から手が出るくらいだったとしても。ほしい仕事のある人がいて。だけどうまくマッチングする例が少ないんだろう。
若い人来て貰ってね、育てて後継にしたいなというのは夢でもあるよね。実際に、過去そうやって関わった後輩は何人かいる。皆さん、リッパにご活躍中だったり、活躍ののち引退されたりしてますけどねぇ。「やりたい」「なりたい」ってそんな簡単に判断するものかなぁ。どれだけ継続できるか、どれだけふんばれるか、だと思うんだけどねぇ。自分がそんなにエラいんだろうか? よくわからない。自分はお莫迦だと思ってたし(いまでも思ってるけど)、なぁんもわからなかった頃、いや少しは仕事できるようになってからでも、違うジャンルだとか違うスキル持ってる人と出会うと、何でも聞いた。雑談してるだけでも勉強になるんだもん。
そうやって覚えていく、、、のじゃないんだろうか?
いまの若い人、みんなそうだよ。
と物分りよく言ってもいいけどねぇ。もちろん言い方とかやり方はあるんでしょうが。でもさ、飲み屋で隣でしゃべってる若者とかの雑談聞いてると、、、時代変わってもあんまり仕事の本質って変わってない、、、と私なんかは思うけどね。実際に、使える人もいるわけだし。
・・・
とまぁそのへんにして。
サントリーサマーフェスタというのがありまして。毎年、溜池山王方面で、テーマを決めて現代音楽や映画音楽や、いろいろの演奏会がある。その「サントリー音楽賞」の受賞記念で、マーラーの「復活」を聴いてきました。
この間、演奏したり歌ったりしたばかりだし、特別なんだか素晴らしかったでした。
友人に誘われて行ったわけですが、「う~ん、Tフィルに7,500円かぁ…」と躊躇したものの(笑)(ごめんなさい)、たいへんに素晴らしかった。乗った時のプロの演奏ってすごい。
信頼するリーダーと楽員のつながり…っていうと感じすぎかもしれないのですが。この楽団がオペラに精通し、日本でも屈指の劇場で伴奏を勤めて一級、といわれるようになったのは、もとはといえば、ある時期、音楽監督として徹底的にこの楽団と付き合い切った、この指揮者のお陰なのです。そりゃいろいろ問題はあるにせよ、現在の楽団の中核を担う人々と、この人との信頼関係は凄い。現在、世界の楽団で活躍し、日本に拠点を持たない指揮者ですが、彼は常にこの楽団を気遣い、また楽団も彼に信頼を寄せる。
まぁ指揮者というのは艦隊指揮官になぞらえてもいいのですが、ほぉら、誰かとどっかの艦に似とりませんか。
なぁんてね。
実際、音が違うんです。集中力というか、なんだかねー、音楽するヨロコビが溢れてきて、涙がにじみました。受賞の記念にこの曲を演ろう、といったのは。やはりあの3.11からの日本の復興を願い、なくなられた方の魂を悼んで。だということでした。
演奏会終了後。楽屋を訪ねてから、何故かフランスの国立の楽団で活躍中の二人の演奏家(何故か日本にいる)+αの4人でお食事。一人はサイトウ・キネン・オーケストラで翌日早朝から中国公演の途中、ちょうど東京で休みだったから聴きに来た、ということで。(実際、楽屋裏へ行ったら指揮者だの演奏家だのがぞろぞろ)
ところが、ラジオのニュースで、「O澤さん降板!」…なんだとぉ?
なんのための中国公演でしょうねぇ。代役を“信頼できる若手”が振るからといって、それを目当てに高いチケットを買った聴衆はどうすんでしょう? なぁんか人を莫迦にしてないだろうか。
やりたい気持ちはわかる、尊いかもしれない。だがね。なんか別の方法を考えるべきだと--リーダーなら。
ということで、さて本日からの中国公演は、どうなっていることやら。まぁ皆さんプロですからねぇ、それなりの演奏はするのでしょうけれども。事故なく戻られてくださいませ、はい。
今回の仕事の「山」があんまり高かったもので、放出しすぎて「空っぽ」になっとりますー。休んでも休まないし、いやまぁなんだかかんだかありますし。
というわけで、blogは開店休業で、連載ばっかりだもんなー。
それもまたどうよと思いますので、久々にblogらしきことも書いてみようかと思う。
どうせ愚痴です。また一人辞めたので(泣)、、、さすがにこうなると自分の所為かなとか思ったりして落ち込む。
人の心根だけはどーにもならんが、この仕事、われわれは叩かれても(精神的にだ)、罵倒されても(実際に)、言い返せるまでがんばるのが普通だったし、そうでなければ「やめれば(仕事そのものを)」という時代。それは今でもおんなじだろうというのは、こういった仕事をやりたい人の数の多さでも想像できよう。だけど、世代の違う「デキる」人って、本当に少ないんだぞ~~~。いるにはいるけど、みぃんな仕事先にちゃんと収まっていて、聞くところによると「不況なんで。仕事なくなると力あっても辞めて故郷へ帰ったって人も多い」んだそうで。昔みたいに「手が足りない~~助っ人!」というパターンがなくなった。
お金なくなると電話して「またたこ部屋行くか」ってノリ、、、それもないか。
いま、動かない、ネットで探す、きちんと調べられないようなモンでも使われるからなー。それで全体の質落としてりゃ世話ねーぜ(<と怒る)。
ともあれ。
どの業界でも「雑用」ってのは大事なんだよねー。雑用がきちんとできればたいていの能力は持ってるとおもわれる。あとは電話の取次ぎとか。社内で交わされている会話は、耳に入っている範囲できいておいて、何かあったらつなぐ。わからなかった予備知識を入れておく。じゃないと、ばんばん名前のある人から(こういう人=著名人 は苗字くらいしか名乗らないので、たいへん失礼なことをすることになるのである)電話かかってくるような仕事場に、あぶなくてアルバイト置いておけない。
で、雑用をお願いして、あれこれって指示して、空いてる時間はこれこれやっといてね、と言っておくと、やめる。雑用のやり方とか、質問の仕方とか、日報とか見てて、こちらは割り振りを考えようと思っていたりするのだが。しかも、専門的なことは教えなければならない。それの項目について言うと、「××は出来ます」はぁそうですか。出来るんならやってもらおーやないか、、、とは思わないけど、「出来ます」というと、それをさらに、「それではあかんからこうやって」とは言えないであろう。私はその意味では、私らがぺーぺーの頃、怒鳴り倒してくれた先輩がたほどには親切でも厳しくもない。結果みて、あかんかったらあかん、と言って、「原因考えよ」と言う。大人だから、、、と思ったりするのが間違いかい? こっちだって我慢してんだけどねぇ、待つのってたいへんなのよ、それが商品なんだから妙なもの出せないから。
ということで、職安に行ってみたりもした、、、ひゃぁってくらい人の山。不況なのね。…しかも働き盛りって年代の人もけっこう多い。
ほしい人材がいて。喉から手が出るくらいだったとしても。ほしい仕事のある人がいて。だけどうまくマッチングする例が少ないんだろう。
若い人来て貰ってね、育てて後継にしたいなというのは夢でもあるよね。実際に、過去そうやって関わった後輩は何人かいる。皆さん、リッパにご活躍中だったり、活躍ののち引退されたりしてますけどねぇ。「やりたい」「なりたい」ってそんな簡単に判断するものかなぁ。どれだけ継続できるか、どれだけふんばれるか、だと思うんだけどねぇ。自分がそんなにエラいんだろうか? よくわからない。自分はお莫迦だと思ってたし(いまでも思ってるけど)、なぁんもわからなかった頃、いや少しは仕事できるようになってからでも、違うジャンルだとか違うスキル持ってる人と出会うと、何でも聞いた。雑談してるだけでも勉強になるんだもん。
そうやって覚えていく、、、のじゃないんだろうか?
いまの若い人、みんなそうだよ。
と物分りよく言ってもいいけどねぇ。もちろん言い方とかやり方はあるんでしょうが。でもさ、飲み屋で隣でしゃべってる若者とかの雑談聞いてると、、、時代変わってもあんまり仕事の本質って変わってない、、、と私なんかは思うけどね。実際に、使える人もいるわけだし。
・・・
とまぁそのへんにして。
サントリーサマーフェスタというのがありまして。毎年、溜池山王方面で、テーマを決めて現代音楽や映画音楽や、いろいろの演奏会がある。その「サントリー音楽賞」の受賞記念で、マーラーの「復活」を聴いてきました。
この間、演奏したり歌ったりしたばかりだし、特別なんだか素晴らしかったでした。
友人に誘われて行ったわけですが、「う~ん、Tフィルに7,500円かぁ…」と躊躇したものの(笑)(ごめんなさい)、たいへんに素晴らしかった。乗った時のプロの演奏ってすごい。
信頼するリーダーと楽員のつながり…っていうと感じすぎかもしれないのですが。この楽団がオペラに精通し、日本でも屈指の劇場で伴奏を勤めて一級、といわれるようになったのは、もとはといえば、ある時期、音楽監督として徹底的にこの楽団と付き合い切った、この指揮者のお陰なのです。そりゃいろいろ問題はあるにせよ、現在の楽団の中核を担う人々と、この人との信頼関係は凄い。現在、世界の楽団で活躍し、日本に拠点を持たない指揮者ですが、彼は常にこの楽団を気遣い、また楽団も彼に信頼を寄せる。
まぁ指揮者というのは艦隊指揮官になぞらえてもいいのですが、ほぉら、誰かとどっかの艦に似とりませんか。
なぁんてね。
実際、音が違うんです。集中力というか、なんだかねー、音楽するヨロコビが溢れてきて、涙がにじみました。受賞の記念にこの曲を演ろう、といったのは。やはりあの3.11からの日本の復興を願い、なくなられた方の魂を悼んで。だということでした。
演奏会終了後。楽屋を訪ねてから、何故かフランスの国立の楽団で活躍中の二人の演奏家(何故か日本にいる)+αの4人でお食事。一人はサイトウ・キネン・オーケストラで翌日早朝から中国公演の途中、ちょうど東京で休みだったから聴きに来た、ということで。(実際、楽屋裏へ行ったら指揮者だの演奏家だのがぞろぞろ)
ところが、ラジオのニュースで、「O澤さん降板!」…なんだとぉ?
なんのための中国公演でしょうねぇ。代役を“信頼できる若手”が振るからといって、それを目当てに高いチケットを買った聴衆はどうすんでしょう? なぁんか人を莫迦にしてないだろうか。
やりたい気持ちはわかる、尊いかもしれない。だがね。なんか別の方法を考えるべきだと--リーダーなら。
ということで、さて本日からの中国公演は、どうなっていることやら。まぁ皆さんプロですからねぇ、それなりの演奏はするのでしょうけれども。事故なく戻られてくださいませ、はい。