マイナス・ワン
文章に絵をつけていただく、というのは結構難しいことだといつも思っている。
仕事でやる場合はいいんだけれども、趣味でやる場合は、発注→注文どおりに絵を描く、というのは「どうしても違う」という感覚がぬぐえないからです。
ところで、「今回の共同本の話では【ない】」ということで書いてみましょう。
前に某サイト様にお話を置かせていただいていた時代は、いろいろビジュアル関係者とつながりを持って、書いていただいたりご提供いただいていたのは相手の方だったので、ワタシはほとんど後ろに隠れていて何もやっていなかった。だいたい、「絵を描く」というのは、ワタシにとっては【才能】という言葉以外の何者でもないので、すげー、としか言いようが無く、紙に落とす時に、挿絵が欲しいなというときは、ただひたすらお願いするしかない。
幸いにして、これまでは、私が「ファンで~す」という相手の絵描きさんは、こちらの話をすでに読んでいてくださったり、少なくとも新月のお話のことは知っておられた方ばかりだったので、イメージのすりあわせで苦労したことはほとんどない。
いやまぁ相手があわせてくださっていただけかもしんないけど。
ERIちゃんちに、絵の描き方、みたいのがあがっていて、「へーそうか」「ほーそうか」と感心しながらよんでいたり、77さんちのを読んで、「あらお2人ともそんなに綿密にやってらっしゃるのね、、、」というのを読んで、「これでい~んかい?>ワタシ」と自分突っ込みはしてみるけれども、まぁいつものやりかたでやるのでよろしくね>ERIさん ということになっとります。
ワタクシ、わりといつもその「一番キツい」お願いの仕方をしますね。
「このシーン読んで、お好きにどうぞ」ってやつです。
書きにくいとか、もっとなんかないのかといわれる場合、つまり絵を描く方がそこを読んで、イメージが沸かないということなんでしょう。それは力量不足ってことで、なぁんか文章の方に問題がある、、、またはある種の感動を、受け取り手(この場合は媒介である絵描きさんということになります)に与えられなかった。絵にしたいというほどの情動が沸かないっていうことなんだと思うんですね。
そうしたら、「場面を変える」か、「説明をする」かの方法は二つ。
自分の中に「どうしてもここがいいんだよー」という具体的なイメージがあって、表現力不足だったりした場合(後者の場合)、説明する。詳細にこうしてほしい、ということになります。たいていはこのパターン。
結局は、最終的に「こんな感じなんですけど、いかがっしょ」と場面の提案をすることになることが多い。何故なら、文章書いたときには、その登場人物の立ってる位置や距離感、空気の具合、色、着ているものやアングルまで、ほとんど映像的にあって、それを文字に落としているだけのことが多いからです。
ただし、それを二次元の絵にしろというのは超絶難しいと思う。自分の頭の頭の中のイメージというのは、ヴァイオリンを弾けない人間がヴァイオリンの旋律で表現ができないように、私のように絵心の無い人間は、テレビアニメの絵で動くか、実写になるからです。
前者の場合は、あっさりシーンを変えていただいた方がいいなと思う。何も感じなかったとこの絵は描くだけしんどいんじゃなかろうかと思うからです。
ワタシがお願いしたいイラストというのは、挿絵でも説明でもないので、絵と文とが相互補完してないといけないと思う。某blogにも「文章の足りないところを絵で補うのではない」と書いてあったけど、まさにその通りだろうなと思います。
これまでに二度ほど「場面を変えた」ということがあります。なるほどなーと思ったシーンでした。そういった意味でも、恵まれていたなと思うのですわ。
・・・
その「場面」を文章で全部説明したら、これは、莫迦でしょう。そんなもの読んでも面白くないもんね。
説明はしてはいかん(最低限にしたいけど、やっぱり書き込みたくなる、、、これは絵も文字も同じなんすよ)と常々自分に言い聞かせてはいても、つい書いてしまいたくなりますが、明らかに文章は説明不足のはずなんですよね。
で、ワタシの場合は、そこを、「絵の方でお願いします」とやっちゃうことが多い。
というのも、どうなんだろう。場合によると思うんだけど、相手は相手のイメージを持っていると思うんだよね。ビジュアルの人が見る画面というのは、われわれとはまったく違うセンサーが働くような気がする。たとえば一緒に映画を観に行っても、細かいところまで見えているし、(ワタシが音や科白に引っかかるのと同じように)漠然ととらえる、ということは、あまりなさらないような気がします(>皆さん、そうですね)。
そういった意味では、ワタシは音声主導型人間で、目は悪い。
メカニックは好きだけど、その動き方を理解してないので(車も運転免許持ってませんしね)、「美しいな」とは思っても、不自然な動きだとか、何処に何がついてないとおかしいとか、そういう知識は持っていない。模型も眺めるだけだし。
洋服へのこだわりもあるけど、そのへんも絵として矛盾しなければよいかと思っていたりしますね。
だから、イメージどおりにあがってくるより、「イメージを上手に裏切って相手の個性の出ている絵」があがってくるのが一番嬉しい。。。これって相手の勝ち(<表現はよくないけど)ってことじゃん?
幸いにも、これまで3冊出して、現在4冊目ですが、イラストを描いてくださった4人の方々は、皆さん、このように素晴らしくて、ワタシはなんだかレイアウトとか生かしきれなくて申し訳ないなと思いつつ、贅沢な楽しみをしている。読者の方も楽しいでしょうけど、文章書きがいちばん楽しい。
ERIちゃんもどっかで書いてたけど、
挿絵を付けていただくような、たいそな文章ではないので。
1+1=3にはならないといけない。
じゃぁこの、残りの1っていうのは何だろう? というのが二つのファクターが出会わなければ起こらなかった化学変化なのだろうと思うのですが。
なぁんてね。。。
んなこと言ってると、だぁれも描いていただけなくなったりするかもしれないので、ここらへんで。
ともあれ、絵がまったくかけない見の私としては、絵を入れることで限定されるイメージがあるとしても、やっぱりすごいすごい、と毎回思って、掲載させていただいています。
最初はね。
絵は無しでもいいなと思ってスタートしたんですよ。でも、一度描いていただいてしまうとね、、、もう無しではいられないですね。「まぁ描いてやっか」と仰ってくださる方がいらっしゃるかぎり、お願いすると思うので、いたらない書き手をよろしくお願いします(_ _)>お心当たりの方々
仕事でやる場合はいいんだけれども、趣味でやる場合は、発注→注文どおりに絵を描く、というのは「どうしても違う」という感覚がぬぐえないからです。
ところで、「今回の共同本の話では【ない】」ということで書いてみましょう。
前に某サイト様にお話を置かせていただいていた時代は、いろいろビジュアル関係者とつながりを持って、書いていただいたりご提供いただいていたのは相手の方だったので、ワタシはほとんど後ろに隠れていて何もやっていなかった。だいたい、「絵を描く」というのは、ワタシにとっては【才能】という言葉以外の何者でもないので、すげー、としか言いようが無く、紙に落とす時に、挿絵が欲しいなというときは、ただひたすらお願いするしかない。
幸いにして、これまでは、私が「ファンで~す」という相手の絵描きさんは、こちらの話をすでに読んでいてくださったり、少なくとも新月のお話のことは知っておられた方ばかりだったので、イメージのすりあわせで苦労したことはほとんどない。
いやまぁ相手があわせてくださっていただけかもしんないけど。
ERIちゃんちに、絵の描き方、みたいのがあがっていて、「へーそうか」「ほーそうか」と感心しながらよんでいたり、77さんちのを読んで、「あらお2人ともそんなに綿密にやってらっしゃるのね、、、」というのを読んで、「これでい~んかい?>ワタシ」と自分突っ込みはしてみるけれども、まぁいつものやりかたでやるのでよろしくね>ERIさん ということになっとります。
ワタクシ、わりといつもその「一番キツい」お願いの仕方をしますね。
「このシーン読んで、お好きにどうぞ」ってやつです。
書きにくいとか、もっとなんかないのかといわれる場合、つまり絵を描く方がそこを読んで、イメージが沸かないということなんでしょう。それは力量不足ってことで、なぁんか文章の方に問題がある、、、またはある種の感動を、受け取り手(この場合は媒介である絵描きさんということになります)に与えられなかった。絵にしたいというほどの情動が沸かないっていうことなんだと思うんですね。
そうしたら、「場面を変える」か、「説明をする」かの方法は二つ。
自分の中に「どうしてもここがいいんだよー」という具体的なイメージがあって、表現力不足だったりした場合(後者の場合)、説明する。詳細にこうしてほしい、ということになります。たいていはこのパターン。
結局は、最終的に「こんな感じなんですけど、いかがっしょ」と場面の提案をすることになることが多い。何故なら、文章書いたときには、その登場人物の立ってる位置や距離感、空気の具合、色、着ているものやアングルまで、ほとんど映像的にあって、それを文字に落としているだけのことが多いからです。
ただし、それを二次元の絵にしろというのは超絶難しいと思う。自分の頭の頭の中のイメージというのは、ヴァイオリンを弾けない人間がヴァイオリンの旋律で表現ができないように、私のように絵心の無い人間は、テレビアニメの絵で動くか、実写になるからです。
前者の場合は、あっさりシーンを変えていただいた方がいいなと思う。何も感じなかったとこの絵は描くだけしんどいんじゃなかろうかと思うからです。
ワタシがお願いしたいイラストというのは、挿絵でも説明でもないので、絵と文とが相互補完してないといけないと思う。某blogにも「文章の足りないところを絵で補うのではない」と書いてあったけど、まさにその通りだろうなと思います。
これまでに二度ほど「場面を変えた」ということがあります。なるほどなーと思ったシーンでした。そういった意味でも、恵まれていたなと思うのですわ。
・・・
その「場面」を文章で全部説明したら、これは、莫迦でしょう。そんなもの読んでも面白くないもんね。
説明はしてはいかん(最低限にしたいけど、やっぱり書き込みたくなる、、、これは絵も文字も同じなんすよ)と常々自分に言い聞かせてはいても、つい書いてしまいたくなりますが、明らかに文章は説明不足のはずなんですよね。
で、ワタシの場合は、そこを、「絵の方でお願いします」とやっちゃうことが多い。
というのも、どうなんだろう。場合によると思うんだけど、相手は相手のイメージを持っていると思うんだよね。ビジュアルの人が見る画面というのは、われわれとはまったく違うセンサーが働くような気がする。たとえば一緒に映画を観に行っても、細かいところまで見えているし、(ワタシが音や科白に引っかかるのと同じように)漠然ととらえる、ということは、あまりなさらないような気がします(>皆さん、そうですね)。
そういった意味では、ワタシは音声主導型人間で、目は悪い。
メカニックは好きだけど、その動き方を理解してないので(車も運転免許持ってませんしね)、「美しいな」とは思っても、不自然な動きだとか、何処に何がついてないとおかしいとか、そういう知識は持っていない。模型も眺めるだけだし。
洋服へのこだわりもあるけど、そのへんも絵として矛盾しなければよいかと思っていたりしますね。
だから、イメージどおりにあがってくるより、「イメージを上手に裏切って相手の個性の出ている絵」があがってくるのが一番嬉しい。。。これって相手の勝ち(<表現はよくないけど)ってことじゃん?
幸いにも、これまで3冊出して、現在4冊目ですが、イラストを描いてくださった4人の方々は、皆さん、このように素晴らしくて、ワタシはなんだかレイアウトとか生かしきれなくて申し訳ないなと思いつつ、贅沢な楽しみをしている。読者の方も楽しいでしょうけど、文章書きがいちばん楽しい。
ERIちゃんもどっかで書いてたけど、
挿絵を付けていただくような、たいそな文章ではないので。
1+1=3にはならないといけない。
じゃぁこの、残りの1っていうのは何だろう? というのが二つのファクターが出会わなければ起こらなかった化学変化なのだろうと思うのですが。
なぁんてね。。。
んなこと言ってると、だぁれも描いていただけなくなったりするかもしれないので、ここらへんで。
ともあれ、絵がまったくかけない見の私としては、絵を入れることで限定されるイメージがあるとしても、やっぱりすごいすごい、と毎回思って、掲載させていただいています。
最初はね。
絵は無しでもいいなと思ってスタートしたんですよ。でも、一度描いていただいてしまうとね、、、もう無しではいられないですね。「まぁ描いてやっか」と仰ってくださる方がいらっしゃるかぎり、お願いすると思うので、いたらない書き手をよろしくお願いします(_ _)>お心当たりの方々