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2012_05
27
(Sun)00:01

第三別館に至る

前のアーティクルの続きですが、、、ご興味のある方のみ、どうぞ。
事の経緯の繰り返しです。

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「新月の館」は、2005年に開設された「三日月小箱」に、最初、物語を預けていたところ、だんだんに追いつかなくなったり、考えの合わない部分が表面化してきてそこから独立したページを持って分離したものです。

 併設していた時期もありますし、あることをきっかけに完全分離をして今に至ります。
 とはいえ、共有していたリソースもままありますので、同サイト様に私の物語が掲載されていますし、NOVELなどは両方から読めます。または差し上げてしまったものも存在します。


 宇宙戦艦ヤマトに対する、いろいろなものを吐き出したくて、感想や想いを語り合ったのは高校生の頃。地元の小さなサークル(50人限定・互いに会える範囲)でした。毎月のように発行されるコピー誌に、それでも、“書ける人”と、“素晴らしく絵の上手い先輩”が居て、一人で悩んでいた私には大きな福音に思えたのです。

 感想や、思いを語り合うには、現在はblogやメールがあり、オフ会がありますが、当時よく行われていたのは、「自主上映会」(<まだ自由だった)と、お茶会や、同人誌=といってもコミケが始まる前ですから、感想を述べたり詩やなんかを投稿し合うというようなもの、でしたね。
 しかし、様々なサークルと交流するうちに、大学生のお兄さんお姉さんたちが作った、「パロディ」のお話に感動し、、、

 「創作」に手を伸ばしたのは、SF研での活動の延長でしたが(続編と、現在でいう「スピンアウト」を書いたのであって、本編に手を出すようになったのは、あくまで2006年以降です)、本編の登場人物たちをいじる気にはならず、オリジナル・キャラクターに活躍してもらうことによって、ヤマトの世界を俯瞰的に描いてみよう、そのことによっていろいろな人のいろいろな想いは昇華できるのではないか……そう思ったし、何よりも自分がそうしたかったんですねぇ。辛すぎたですから。

 小説そのものは小学生の頃から書いていましたし(あれが「物語」「小説」と呼べるものだったら、ですが・笑)、それと「ヤマト」を融合して遊ぼう、という発想はなかった、、、のが今考えると不思議ですね。
 そのくらい、「書くこと」は真剣な対象であり、勉強やその他と結びついているもので、「趣味」とは相容れなかったのかもしれません。
 あぁ、よく訊かれますが、私は[小説家になりたいと思ったことは一度もありません]。だいたい、“センセイ”と呼ばれる職業にはまったく興味がなかった。少しあったとすれば学校の教師と弁護士くらいです。編集者が作家さんを「先生」と呼んでいるのを聞くと、けっこう引きます(漫画家さんも同)。まぁ編集者がそう呼ぶのは、慣習として仕事のうちですから、仕方ないですよねぇ。個人的には漫画家さんや作家さん(職業的な、という意味で、同人ではありません)の知り合いもいますが、「センセイ」と呼ぶことは無いですな。

 ちなみに、「~さん」というのは便利な呼び方ですが、最高の丁寧語・敬称の一つだとも思っています。要は、気持ちの問題ですね。
 
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 「ヤマトは勘弁してください」
 最初、私はそう言って、そこの世界に戻るのを拒否し続けました。
「完結編」で終わらせ、数年かかってようやく吹っ切れた昔のオトコに、なんでいまさら。
……精神的にむちゃくちゃになるのは目に見えてましたし。好き? なんて思ったことはないです。ただ、ツライ。でも、離れられないってのに、ようやく離れたとゆーのに。

 佐々葉子という戦闘機隊員が生まれ、本編を補完して助けてくれた。彼女の強いキャラクターによって、自分自身が立ち直れた部分はあります(自分で作ったキャラではありますが、作者自身と似ているところは、ほとんどありませんし、いろいろ助けられたなぁ、うん)。付随して、艦載機隊連中の明るさと、個性的なキャラたちが生まれ、それはひいては第二世代へと展開していきました。

 自分でも2006年から07年にかけてはよく書いたと思います。
 病気療養中、、に近くて、仕事をほとんどしていなかったこともあり、週に2本ペースで、構築した世界のあちこちをつまんでいましたし、寄せていただけるメールにも励まされながら、気づいたら300本以上の短編と長編を仕上げていた、、というのはこれはすでに病気なんでしょう。

 不思議なことに、いただいたメールの中にもたくさんあったのが、私と同じだった方々。
 「ヤマトに惹かれて、好きだが、辛かった」人々からの「救われました」というご感想。そういうメールにこそ、私は感謝しつつ、書くことでのコミュニケーションというものに、さらに救われていたように思います。


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 そんな頃、「第二世代」の設定を作りました。自然に、生まれてきたもので、書いてて楽しかったです。
 同時に、サブ・キャラたちの世界も広がっていき、それはそれぞれに愛読してくださる方々がいて、そういう方々とは、実際に会ったり、お友だちになっていったりもしました。
 現在、大切な友人となっている何人もの方々は、その頃であった方々なんですよね。


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 二次小説の、さらにそこから生まれたオリジナルです。

 「ヤマトの世界をベースにしている」以外に共通項目はほとんどありません。
 なので、あまり積極的に掲載していませんでした。

 ただし、このころはまだ「様々な人の視点で古代進の魅力を描く」というモードだったんですね、私(「航海班宣言」する前だしな・笑)
 よろしければ、お読みください。 
 設定その他は、「timeout・あとがき」ページに、簡単に記載しています。


 新月の館・第三別館
 「timeout」


 ・・・このお話の、直近の「続き」は、時間ができたら書きます。古代守Jr、加藤大輔&古代聖樹、東克彦らの話も書かなくちゃですし、親たちの話もあります。
 それらの連関については、近々indexで。

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