読みたい本を探す。
ここのところ、ずっと「読みたい」と思い続けている本があって、仕事の合間に、寝る前に、どうにもたまらない気分になる。
それなら買えばいいじゃないか、と思うだろうが、実は“絶対に家の中にある”のだから、絶版のつてを辿り、高い、人の手に汚れた古書を探す気にはならないのだ。
家の中にある【はず】なんだよぅ……と、完璧に“腐海”((c)by某御前)と化した家の中を眺める。
数年前から、家の中は完全なる“腐海”と化している。中でもこの1年半。某社に通うようになってから家の中で過ごす時間が格段に減り、仕事場も自宅もゴミダメとたいして変わらない。楽器の周辺だけが少し隙間があるが、あとの空間はびっしりと増え続ける資料と、本の山に埋もれ、避けないと歩けない…という、まるで貧乏学生の下宿のようなありさまだ。
つくりつけの本棚もあるにはある。
だがそこも埋まってしまっていて、、、ただ整理すれば入る。
何故こうなるか、というと、私は、一度読んだ本や資料も、何度も使うことが多いからだ。
よく、断捨離や、「捨てる」整理を謳う本を読んでみると、捨てることを推奨している。なるほど、2年間触らなかったものは不要、という考え方は一理ある。
だが、本当にそうだろうか?
昔作った企画書なんぞ役には立たない。もちろんそれも一理あるので、広告代理店時代に作ったものは、ほぼ破棄した。だが、その時捨てきれずに残した資料本(主として美術書の類だ)は、捨てなくて本当によかったと思っていある。手に入れるためにどのくらい苦労したか、とかもあるし、一つ一つがアイデアの宝庫だからだ。
それに当時の自分の実績は、いちおうきちんとまとまった1本の本棚にファイルされて収まっているが、、まさかこれまで捨てた方がいいとは思わない。それに、初版本の数々の漫画本の切り抜きとか(爆 (<これはマニア?)
・・・
困るのは、ここへ引っ越してきてから増えた本とCDと楽譜と洋服である。
一計を案じて、カレシに二つほど文庫本本棚を作ってもらった。もちろんそれは重宝しているが、そこに収められた本ばかりが何度も読まれるハメになり、机の周りに積まれているものたちは、取り出して眺めても巻がつながらず、悔しい思いをする、、、ということになってしまう。
結局、本は、「取り出せて眺められるところになければ意味をなさない」=ゴミと同じ ということなのだと最近は悟ったし、普通の“捨てればよい”方式の「整理整頓」は、自分や私と同業の人間たちには、ほとんどあてはまらないということに気づく。
同業者でCDを1000枚単位で持っていない人間はいないと思う。
レコード会社から送られてくるサンプルだけでも、月に十枚を超える。私は現在、そっちは会社の方でファイリングしているので大過ないが、個人で増えるものについては言及するまでもないだろう。また、そのくらい聴かない人間は、信用できないし、されない。
だから例えば個人的な趣味のものを集めたい、と思っても、「少しずつ」は無理である。置く場所をキープすることができないからだ。空いている場所へはものを突っ込んでいかないとすぐにスペースは無くなる。
これはまでは2年ごと(?)に引っ越しすることで凌いできたが、今回はそうはいかない。
この家を引っ越す気はないし(ローンが払えないくらい生活に困窮すれば話は別で、まぁその可能性もゼロじゃないけど・笑)、現に、そのため10年住んでこの体たらくである。
最近、ようやく少しずつ頭の中にイメージがわいてきて、時間ができたら一気に「整理整頓」したいと思っているが、そうすれば7割くらいは解消するかなとも思ってる(わくわく)(そう。実は私は“完璧な片づけ”というのは好きで、掃除もキライじゃない。だから現状にストレスが溜り、どんどん“、見ないふり”が進捗する)。
ともかく、目下の問題は。
1.練習のため持ち歩いていた“楽譜セット”が無い。ヴァイオリンも、ピアノも、琵琶も、である。
これはとても困った。
2.読みたい某シリーズが無い。しかも、三つとも
3.最新巻を読み終わった。数年前にぽつぽつと揃えた、同著者の本を読み返したいが、どこにあるかさっぱりわからない
この三つである。
指を痛めているので、「ちょっと下の方の本を引っ張り出してみる」ということができず、少しの書物を動かすのも、全身疲労するほどの体力が必要なので、仕事で睡眠時間もままならない現在は、難しい、というのが現状だ。
だけど、読みたい本を読む、活字に溺れる、というのは、私にとっては“何よりもの疲労回復”なので、それができない、というのはものすごくストレスの溜まることでもある。
皆さんはね。
「時間が無いというけど、休みの日に一気にやってしまえばいいじゃないですか」
と思われるかもしれませんが。
休みの日は、休まないと、もたないのだ、私。
これまで何度、「今度の休みには…」と思ったかしれないけど。
その日に朝からキリキリ掃除とかすると、次の週がどうなったか、考えるのも恐ろしい。
だから、「一日休みだから…」はダメ。
体も、頭も結構弱いんですわ、私。
また、ハウスダストアレルギーだから、少しずつやる、ということもできない。埃に触るだけで皮膚がかゆくなり、喘息のような兆候が出るので、何らかの対抗手段を考えないと「毎日夜になると掃除」というわけにはいかないのだ。
加えて、「大事な資料は一番上に乗せてある」これが、大量なんで。
しかも、全部、紙。
自業自得とはいえ、ともあれ、私にそれを読ませてくれ~~と思う、日曜のお昼なのでありました。
ちなみに、久しぶりに書店に行く時間が出来たので、数冊買い込んできた。中で面白かった2冊。
●冲方 丁(うぶかた・よう)『天地明察』
●海堂 尊(かいどう・たける)『ブレイズ・メス1990』
もともとこのお2人は、作品もですが筋の通った書き手としての姿勢が好きなんですが、この2冊は申し分なくストレス解消になりました(笑) そういえば『天地明察』は映画になるんですね。脚本にしたら面白そうな中身ですなぁ。映画も見たいと思います。
それなら買えばいいじゃないか、と思うだろうが、実は“絶対に家の中にある”のだから、絶版のつてを辿り、高い、人の手に汚れた古書を探す気にはならないのだ。
家の中にある【はず】なんだよぅ……と、完璧に“腐海”((c)by某御前)と化した家の中を眺める。
数年前から、家の中は完全なる“腐海”と化している。中でもこの1年半。某社に通うようになってから家の中で過ごす時間が格段に減り、仕事場も自宅もゴミダメとたいして変わらない。楽器の周辺だけが少し隙間があるが、あとの空間はびっしりと増え続ける資料と、本の山に埋もれ、避けないと歩けない…という、まるで貧乏学生の下宿のようなありさまだ。
つくりつけの本棚もあるにはある。
だがそこも埋まってしまっていて、、、ただ整理すれば入る。
何故こうなるか、というと、私は、一度読んだ本や資料も、何度も使うことが多いからだ。
よく、断捨離や、「捨てる」整理を謳う本を読んでみると、捨てることを推奨している。なるほど、2年間触らなかったものは不要、という考え方は一理ある。
だが、本当にそうだろうか?
昔作った企画書なんぞ役には立たない。もちろんそれも一理あるので、広告代理店時代に作ったものは、ほぼ破棄した。だが、その時捨てきれずに残した資料本(主として美術書の類だ)は、捨てなくて本当によかったと思っていある。手に入れるためにどのくらい苦労したか、とかもあるし、一つ一つがアイデアの宝庫だからだ。
それに当時の自分の実績は、いちおうきちんとまとまった1本の本棚にファイルされて収まっているが、、まさかこれまで捨てた方がいいとは思わない。それに、初版本の数々の漫画本の切り抜きとか(爆 (<これはマニア?)
・・・
困るのは、ここへ引っ越してきてから増えた本とCDと楽譜と洋服である。
一計を案じて、カレシに二つほど文庫本本棚を作ってもらった。もちろんそれは重宝しているが、そこに収められた本ばかりが何度も読まれるハメになり、机の周りに積まれているものたちは、取り出して眺めても巻がつながらず、悔しい思いをする、、、ということになってしまう。
結局、本は、「取り出せて眺められるところになければ意味をなさない」=ゴミと同じ ということなのだと最近は悟ったし、普通の“捨てればよい”方式の「整理整頓」は、自分や私と同業の人間たちには、ほとんどあてはまらないということに気づく。
同業者でCDを1000枚単位で持っていない人間はいないと思う。
レコード会社から送られてくるサンプルだけでも、月に十枚を超える。私は現在、そっちは会社の方でファイリングしているので大過ないが、個人で増えるものについては言及するまでもないだろう。また、そのくらい聴かない人間は、信用できないし、されない。
だから例えば個人的な趣味のものを集めたい、と思っても、「少しずつ」は無理である。置く場所をキープすることができないからだ。空いている場所へはものを突っ込んでいかないとすぐにスペースは無くなる。
これはまでは2年ごと(?)に引っ越しすることで凌いできたが、今回はそうはいかない。
この家を引っ越す気はないし(ローンが払えないくらい生活に困窮すれば話は別で、まぁその可能性もゼロじゃないけど・笑)、現に、そのため10年住んでこの体たらくである。
最近、ようやく少しずつ頭の中にイメージがわいてきて、時間ができたら一気に「整理整頓」したいと思っているが、そうすれば7割くらいは解消するかなとも思ってる(わくわく)(そう。実は私は“完璧な片づけ”というのは好きで、掃除もキライじゃない。だから現状にストレスが溜り、どんどん“、見ないふり”が進捗する)。
ともかく、目下の問題は。
1.練習のため持ち歩いていた“楽譜セット”が無い。ヴァイオリンも、ピアノも、琵琶も、である。
これはとても困った。
2.読みたい某シリーズが無い。しかも、三つとも
3.最新巻を読み終わった。数年前にぽつぽつと揃えた、同著者の本を読み返したいが、どこにあるかさっぱりわからない
この三つである。
指を痛めているので、「ちょっと下の方の本を引っ張り出してみる」ということができず、少しの書物を動かすのも、全身疲労するほどの体力が必要なので、仕事で睡眠時間もままならない現在は、難しい、というのが現状だ。
だけど、読みたい本を読む、活字に溺れる、というのは、私にとっては“何よりもの疲労回復”なので、それができない、というのはものすごくストレスの溜まることでもある。
皆さんはね。
「時間が無いというけど、休みの日に一気にやってしまえばいいじゃないですか」
と思われるかもしれませんが。
休みの日は、休まないと、もたないのだ、私。
これまで何度、「今度の休みには…」と思ったかしれないけど。
その日に朝からキリキリ掃除とかすると、次の週がどうなったか、考えるのも恐ろしい。
だから、「一日休みだから…」はダメ。
体も、頭も結構弱いんですわ、私。
また、ハウスダストアレルギーだから、少しずつやる、ということもできない。埃に触るだけで皮膚がかゆくなり、喘息のような兆候が出るので、何らかの対抗手段を考えないと「毎日夜になると掃除」というわけにはいかないのだ。
加えて、「大事な資料は一番上に乗せてある」これが、大量なんで。
しかも、全部、紙。
自業自得とはいえ、ともあれ、私にそれを読ませてくれ~~と思う、日曜のお昼なのでありました。
ちなみに、久しぶりに書店に行く時間が出来たので、数冊買い込んできた。中で面白かった2冊。
●冲方 丁(うぶかた・よう)『天地明察』
●海堂 尊(かいどう・たける)『ブレイズ・メス1990』
もともとこのお2人は、作品もですが筋の通った書き手としての姿勢が好きなんですが、この2冊は申し分なくストレス解消になりました(笑) そういえば『天地明察』は映画になるんですね。脚本にしたら面白そうな中身ですなぁ。映画も見たいと思います。