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2012_07
04
(Wed)00:42

ヤマトの音楽、というもの・1

 音楽の話。
 書かない、と書いたけど、全体論として思いついたことなので記しておく。

 ヤマトの音楽は人の人生変えるくらいの力があった。。。これは確か。ヤマトという作品そのものにもあった、まぁでもこれは優れた作品なら普通でしょう。文学作品でも、絵画でも、映画でも、アニメでも。「これに出合ったからその道へ行った」なんて人は、星の数ほどいる。
 だけどなー。
 「ヤマトの音楽が凄い!」と思ったからって、どうしろってのよ(-_-)。

 プロの人たちの中にも、それで変わったとまではいかなくても何らかの影響を受けたという人はいないわけではない。ということを最近知った。アニメ方面でももちろん、大物が名乗りを上げている。
 何故「最近」なのか? これ、今まで言えなかったからだよ。『復活篇』が登場するまでね。それは、なぁんとなくギョーカイ的な常識だったので。

 あぁ、音楽の話だった。

 『2199』の一つのキーワードとして何度か製作者サイドから上がってきたのが「レスペクト」って言葉。
 便利ですなぁ。
 別にいいんじゃないの? と思う。ファンがほざくにはいいけど。「新しいの」を作るんだから、好きにやれば。それで面白い作品になれば、素晴らしい、しがらみも何もそれこそ「抜錨」して、飛び立ってほしい。
 何故そう思うかというと、「レスペクト」という名のもとに、旧作の“重力”に縛られると、飛翔できないのである。限りなく“二次小説っぽく”なる。面白い、確かに面白いけど、公式二次小説に見えてしまうので。
 もちろん、もう一つの見方は私の中にもあって、
 「最初のヤマトの世界は、希望はあった。意思もあった。が、結局は救われなかった、戦い続けなくてはならなかった、どこかにエレジーが流れていた。だから、次世代を明るく継ぐ作品を」そう願ったようにも見える。ここまで観た「2199」は、妙に明るい。当然、そっちの方が自然な気がする、だって23世紀の彼らにとって、それは“日常”なのだから。いくらそこが戦場で、帰ってこられるかどうかわからない旅の途中でも。

 だから、音楽の話だったよね(>自分)。

 ヤマトの音楽に対して、いろんな意見がある。旧作のインパクトが無いとか、旧作のをいろんなシーンで使いすぎだとか。ファンサービスが過ぎるとか。
 だがしかし。一つには。良い音楽を適合していると思うシーンに使うのは効果的でいいんじゃないかと思う。

 例を挙げますと。
 「宇宙の深淵を行くヤマト」という名が付いているらしいBGMがある。これ、私はずっと激しい戦闘シーンの曲だと思っていて、めちゃめちゃ気に入っていたので高校生の時に、テープから音を起こし、ピアノで弾いていた。もちろん、むちゃくちゃ難しいのだが、音大生だったころは弾けたのである。アレンジし直して、2009年のヤマパで演奏したから、アンケートとかでその曲だと教えていただいた。おー、あれって「完結編」の曲だったのね。
 『完結編』で、島が宇宙嵐の中で苦闘するヤマトを駆って、必至でヤマトが進むシーンに使われていたのだ。

 知らなかったもんね。
 で、今回の2199の、冥王星基地の戦闘シーンや、たしか木星でも使われていたような気がする。
 だって、戦闘機隊の発進と攻撃に合うんです、テンポ感も使われてるフレーズも。もちろん、艦載機隊の発信シーンは、いつものそれも使われていたんだけど。それにもちろん、アレンジは大幅に変わっていた。楽器編成もだ。

 というように、効果的ならいーじゃないのというのが一方である。

 他方、なぜあの“ヤマトの音楽”は、あんなに心を動かして、、、というか揺さぶったんだろう、と思うわけ。

 それは、もしかしたら、時代 っつもんじゃないのか? という気もするのだ。

 この間、ポッパー(ポップス・ヴァイオリニスト)のNAOTOさんのお話を聞く機会があって、その時に「音楽は消費されるものだ」という科白が出た。クラシック音楽をやり伝統は守って伝えたいと思ってきた私にとっては、ちょいと聞き捨てならない科白だったけれど、続きがあって「その中で残るものは残る」ということと、「消費されるからこそ、新しいものが生まれてくる」と仰る。
 最初は、「ポップスは時代性と密接に関わりがあるような気がする」という話だった。なんて答えられたんだっけな。クラシックも本当は同じことだよと仰ったような。確かにそうかもね、ただそれが200年、300年残ったというだけで。

 つまり。クラシックもバロックも、ポップスも、ジャズだろうとなんだろうと。
 大事に【箱の中】に入れて飾っておいて、再生するだけじゃ、ダメだよ、ってことだ。

 伝統を伝える、という時に、クラシックや民族音楽の世界でも、常に「再生」が行われている。昔のものを、そのまま再現したって、何も生まれない。常に、現在に合うように、アレンジしたり、その“時代の空気”を呼吸することによって、それは生きたものになる。当然、テンポや、歌い方や、アレンジや……楽器だって、聴衆が座る箱だって、メディアだって違うのだ。それは当然なのだろう。

 だから。
 ヤマトだって、30年前の衝撃や感動とは、現代の音楽の感動は、質が違ってもよいのではないか。
 ふとそう思ったのだった。
 いまの音楽に、“あんな風に”感動するだろうか? それを、この作品は求めているだろうか? ちょっと違うような気がするのだ。
 『復活篇』には実は、確かにそういうものがあり、私は、SUSと対峙した時のベートーヴェンの「皇帝」や、ハイパージャンプした時のグリーグの協奏曲にも痺れたし、何よりも、最初にアルフィーが、シークレットでアンコールで発表したテーマソングと共に、バックのスクリーンにヤマトが流れた時に、滂沱と涙が流れた。あぁ、これがヤマトだ、と思ったから。

 だから、そういう意味でも、この『2199』は違うヤマトで、音楽的にも、違う時代のものなのだろうと思う。

 これからどんどん話は進んでいき、まだまだ楽しみな展開が待っている。
 興行成績もよいようで、ホッとする(ならちゃんと2週間やってよー、月曜日抜かないでさ・涙)。

 “新・ヤマトの音楽”は、どんな貌を見せてくれるのだろう。。。まだ、それは見えていない。

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