ネットの孤独
いや、出会い系とかじゃなくて(笑
ヤマトのファンサイト、というのは膨大に拡がっていて、もちろんそれだけじゃなくって。
私は人前に出るのや、自分から話しかけるのは苦手なので、blogで万人に向けて話しかけているように見えて、実は、自己完結している書き方だろうと思う。
現に、アクセス数もコメントも、ヤマトサイトの割に、多くない(笑)……敷居が高いとは思わないので、「口調やら内容やら(<けっこうキツいこと書いてるもんね)が気に入らない人は来ないでね」というのが受け入れられている模様(笑)。つまり、万人受けはしない。
数が多いだけが良いとは思わないが、多ければ、気持ちにfitする人が訪れる可能性もより多い。
そういった意味では、時々、ぽつぽつと現れるそういった方々からのメールを考えると、オフィシャルの新作『ヤマト2199』や、KOBEさんの「WEBRING」にはとても感謝している。
私の友人たちのblogは、ヤマトサイトの中ではアクセス数の多い人々サイトを運営している場合が多い。
もしくは、少なくて濃密な付き合いをしているか(たいていがリアルでも知り合い同士)、「ブロガー」と呼べるほどにアクセス数があるか、どちらかだ。
管理人の人柄とか、オーラとか、内容(コンテンツ)の深さとかバランスとか。そういうことなのじゃないかと分析している。
ところで先日。私が本当に好きだったというか、このヤマトなネットの海を泳ぐようになった2005年の終わりから2006年頃、本当に毎晩のように通っていたサイトがつながらなくなってしまっていた。管理人さんもこっそり大好きなヒトでで(まっつぐ「大好き」とかいうと足蹴にされそうなヒトだし、、、と思うけど、面識はないからわからんけど)、なにかと、なんというかなぁ。背筋を伸ばすような気持ちにさせてくれるヒトでしたよね。
作品の求めるものが似ているのかなぁ、ヤマトという世界の見ている部分が似ているのかなぁという部分もあって、ヒトによっちゃぁ文章も似てるとかいわれていた方でしたのですが、なにより作り出す世界が好きだった(これは、私とは全然違うのだよ)。
2年ほど更新がなかったのだが、閉じることはなく、いつでも行けば読めることに安心もしていた。
なんとなく、彼女は突然姿を消したりはしないだろう、という気持ちもあったのだ。
ところが。
つながらなくなった・・・つまり、現実世界でいえば「蒸発」または「消失」ですね。
すごくショックだった。一方、仕方ないのかなとも思った。
彼女と私の間にあったものは、ある時期、確かに何かはあったと思ったけれど、それはその時、その場で共有したものなのだと思って諦めても良い。そうして時は、無常に過ぎていくものだから(一期一会、といわれる音楽なんかやってると、こういう考え方になりますねどうしても)。
だけど、お元気だそうな。
やっぱりそれは嬉しい。
ネット環境落ちだそうです、、、また復帰、希望!! だよね。
・・・
そのあたり、いろいろ考えた。
ERIちゃんちのblogが上手にまとめてくれているのを読んで、あぁそういうことなのかな、とも思った。
ネットから誰かが消えれば、必ず悲しむヒトがいるのだと。
やめてしまおうかなと思ったことは、誰でも一度や二度や三度や四度はあるだろう。
だが、どこかでそれを必要としているヒトがいるから、その人にとっては、、、というような内容で、なるほど、と自分のイヂケタ気持ちについてフォローをしてもらったような気もした。
だけどねー。
確固としたコミュニティのようなものが拝見してて築かれているサイトに比べると、自分ちはそうじゃない。
読んで、おしまい。なんだと思うのよ。
コミュニケーション系のサイト、つまりブロガーさんたちのとこ。
訪問者が多くて(けっして数の問題ではなくて)、書かれることに期待を寄せている読み手さんがいて、交流がある、というサイトというのは、やっぱりそうなんだろうなと素直に思うけれど、自分のはそれに当てはまらないため、「お話が読めなくなる」ことを残念がってくれるヒトはいらっしゃるだろうな、と思うくらいだ。
メールや拍手でコメントをくださる方々は、私が結局は紙の冊子が好きで発行したりもしたものだから、ほとんどが連絡先がわかっていて、その気になれば、「消える」ことは無い。
だけど、多くのヤマトファンにとって、この"新月"サイトは、あまり存在感のあるものではないだろうと思うし、たぶん無くなっても寂しくはないだろう。(がんがんストーリーをアップしていた頃は別ですけどね)
誰に向けて書いているのかわからない、と思いつつ、
どこかで引っかかってくれることを願いつつ書くときもあれば、単なるツブヤキのこともある。
話題が硬軟取り混ぜて、だし、ヤマトから離れることも多い。それがヤマトに戻ってくる、と思って生きてるから仕方ない。ヤマトを評価(好き嫌い、とか受け手として、って意味)したかったらそれ以外も見ないと、ね?
だからといって、誰かに伝えようとも思ってないのかもしれない。遊びに来てね、って言えないからなぁ。
だから、いただく拍手コメントやメールは「読んでますよ。書いててもいいんだよ」という免罪符のように思われて、時々、とても泣きたくなるくらいありがたい。ま、
リアルでお会いしてそう仰る方も多いんだけどもむしろ。
「書いてていいんだよ。私には必要(楽しみ)なんです」という方がいらっしゃれば、書くことの害悪とか罪の意識からは逃れられる。
書けば書くほど、私の場合は“ひとり”になりますね。
ヒトと楽しくわいわいやっていたい方だから、これはキツいところもあるが、こういうことの性質上、仕方ないのだろうと思う。
ここは、「場」ではない。
いま、上げているお話、どうなんだろう。とも思うけど、話を上げることはやめないことにした。これは単に、私のスタイルだから、ある日突然、やっぱりやめてしまうかもしれない。
blogやお話を書くことに、リスクを抱える立場だから、というのも一線を引いてしまう理由の一つ。
・・・
だからね。
せめてオトモダチのところは、「いつも存在」しててほしいというのは贅沢なんだろ。
ネットどころじゃなくて、まったく離れてしまうこともここのところは多いのだけれども、戻ってきたときに、皆の“日々”が着実に過ぎていることを読み返すと、幸せな気持ちにすらなれる。
私自身には、家庭生活やプライヴェートというものはあんまり無いので。
疲れて家で寝てる、とかはあるかもしれないけど(笑) 普通の生活ぢゃないよなどう考えても。
仕事のことも書けないから、共感することっていうのがそもそも多くないのだろうと思う。
ただひたすらお話を上げるのも、自意識過剰みたいでね(^_^;)ま、それもいっか、と最近は思うけど。
そんなことを考えてしまった今日であった。
・・・あ、でも。
コメントや拍手いただいてる方々、また毎日アクセスいただく60~100くらいの方々。
ちょっぴりは「つながり」があるとは思っているんです。
そんな距離感もまたよろしかろうと。
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