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2013_01
21
(Mon)23:23

怒りを。

 ここのところblogが止まっていたのは、忙しいこともあったし土日がずっと出っぱなしでヘロヘロだったこともあったけれども、書く気にならなかったことも一つにある。

 罵倒したいとか、叫びたいとか、イラつく怒りではない。
 だが、体の底から湧いてくるような、なんともいえない、許せなさ。こんなことがあっていいのか、という、悔しさのようなものに浸されて、アニメどころではない気分にさせられていた。

 テロで日本人7人が亡くなった。まだ現時点で3人の安否が不明だという。
 現地の職員も含めればどれだけの人が巻き込まれているのだろう。

 何故、こんなことになったのか? アルジェリアだけのことではない、マリがあり、その背景にフランスもあり、、、だからといってテロリズムというのは最も卑怯であり、最悪の手段なのだ。

 学生の最後の頃、就職のための作文教室に通っていた時期がある。
 私の、文章の最初の師匠は某社の記者で、社命でカンボジア戦線を渡っていたことのある方だった。私たちはそこに、作文技術を習いに行っていたはずだけれども、彼の教えでいまも忘れないのは二つのこと。

 ある日、彼が言った。
「幸福になるためにはどうしようもないことがあって、その方法としてテロが必要だったら行使した方がいいと思うかどうか。××のテーマで述べよ」
 いま思えばかなり過激なテーマだが。受講生の反応は様々で、多くの学生たちがダメ出しを食らった。作文教室というのは内容に筋が通っていて、起承転結がしっかりしており、時間内にまとまった文章が書きあげられればそれでよいのだけれども。皆の講評をひととおりした後、ある人の作文を取り上げ、言った。

 「間違った方法で幸福になった場合、それは間違った幸福になると思わないか?」

 本当に幸せにはなれないのだという意味のことだったと思う。
 もちろん、自分たちの国を得るために血を流して戦うことだってあるだろう、民族戦線というのはそういうものだが、その“方法”にも、いろいろあるはずだ。

 これは、キリスト教の教会で、ずいぶんな昔、同じことを言われたことがあって、印象深い。

 もう一つ。
 「戦争の反対語は?」
 たいていの人が“平和”と答える。そう教えられていたこともあったかもしれない。

 違うのだと彼は言った。平和というのは戦争のアンチテーゼで、戦争があるから平和を意識する。人間というのは、それほどに闘争的な生物なのだと。

 では何なのか。

 前にも書いたことがあったかもしれない。

 戦争の対義語は、「文化」

 文化はものを創造し、伝え、互いの異なる部分も理解し合う。戦争は破壊し、文化は生み出す。

 それに。
 今日もグローバル企業の人と飲んでいて(その人はとても音楽が好きなので、演奏会をご一緒した)、一人一人を理解したり友だちになれば、互いに尊重するようになる。それは互いの文化を大事にすることだ、とも言う。

 文化に意味を見出さない政治家もいるようだけど。
 これは、日本のように、海岸線が広く、自力でどうにもならない孤立した国にとって、強力なツールになり得るのだ。。。とかここんとこずっと思ってるのだけど。

                   ・・・
話が展開しすぎたけれども。
なににせよ、息を潜めて、無事を祈っている。
他人ごとではない、と、思うからだ。
  

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