「人間の死亡率は100%」
少しバタバタしとりました。
物語の中では、人は沢山死ぬけども、死んだ後、人がどうなるのか、ということがわからないから人はじたばたするのであって、それと「老い」というのが切っても切り離せないから、いろいろなところで不都合やら社会問題やらになる。
人の生き死にが自然であり続けられて、天然や自力で賄えるのなら、こんな幸せなことはないんでしょうね。ただ実際のところで、そういうのはムリだと思う。
病気になるかどうかということと、甘えの精神構造とは関係なくて、甘えの中には、体調が悪い(身体の具合や頭の具合がよくない)ことからくる、本当にどうしようもないものと、単なるワガママだったり社会常識や思いやりの無さからくるものがあり、その境目は、はなはだ曖昧だ、、、と身近な例を見ていて私は思う。
年を経れば我慢強くなるかなと思っていたのだけれども、職場の仲間などと話をしていても、「むしろそれは逆なんじゃないかい」という自覚が皆あり、「だんだんワガママになる」というのが、もっぱらの感じらしい。いや、だからそれは「自覚しろよ」という意味であって、人様にどうこういうことではないのだけれどね。
要するに、死ぬ覚悟があるか、という話。
死ぬ覚悟=生きる覚悟とか生き様 ってことになるんだろう。
たいてい、私らの年代までの人間で、どこにも致死の故障を抱えてない人間(あちこち不具合はあるにせよ)にとって、死は「明日突然」やってきたりはしない、、、と思い込んでいる。
だけどまぁ、「無差別殺人」だってあるし、「通りがかり殺人」やら、「爆弾に巻き込まれた」り、「地下鉄サリン事件」とかもあったりして、いつだって人は死に直面して生きてるわけなのだ、、、と、改めて思う。
しょっ中、倒れたり救急車に乗ってるので、病院のベッドで動けないでいるときなんかは、少し楽になってくると「あぁしまった~」とかいつも思うわけですな。「このまま帰れなかったら、ヤバいよ自分」。部屋の中はぐちゃぐちゃだし、仕事もプライヴェートも整理できてない。なにせ、入るお墓も決まってないもんね。無縁仏か?(って仏教徒じゃないから「仏」じゃないことは確かだが・笑)
・・・
タイトルの科白は、義母(医者)の科白である。
真実で、悲しくて、本音。
というのも、NYから帰った翌々日の早朝、義父が亡くなったからだ。朝、起きて気付いたら階下で冷たくなっていたそうで、持病はあったものの、前々日まで元気に碁を打ち、前日の夜、会議で遅く帰った義母にお茶を入れてくれた、というから、ポックリ死といっても過言ではない。
だけどそのあとは、なんというか。
お二人の生き様というか、なんというか。そして子どもたち親類のケアといいますか。親族でありながら、血縁ではないという立場で、極めて不思議な立場でその場にいた私としては、感動するようなお見送りだった。
友引がはさまったので、通夜までの2日間、いろいろと話をする時間があり、皆が仕事の合間を縫って、交代に訪れ、できることをし……。一族の連携と、地域のコミュニティが上手く回っていた例なのだろうと思う。
生きている間にしなければならないこと? 残された人が困らないようにすること、なんだろうなぁ。
悲しみや、寂しさや……そういった感情はあとからついてくるし、あってもなくても変わりない。だけど、死者が生者に負担をかけてはいけないわけで(もちろん、逆もあかんけど)、それを完璧にしていく覚悟、というのは、いまの70代80代の人たちは持っていると思うけど。われわれの世代やそれ以下はどうだろうか。
東京は、単身者世帯がとても多いそうだ。
ずっとそうやって暮らしてきた者は、それに慣れているだろうし、自分の始末くらいは自分で考えているはずだ。それはそれであとくされなくていいのだろうと思う。
だけど実際、うちの親族のように、全国に散らばって住んでいる場合、どうしたらよいのだろう? とふと思う。身体が動く間は一人で楽しく暮らしてる叔母たちもいる。だが家族で暮らすことに慣れた者が、それが欠けた時に、覚悟があるだろうか?
帰るつもりも、面倒を見てもらうつもりもない。だけど、逆はどうだろうか? 親の面倒を見るのは子の義務だろう。しかし18で大学に行くために家を出て、もう何十年も一緒に暮らしたこともない(帰省しても、一緒にいるのは2日が限度だ)。
自分で生きようとしている人には、出来うる限り助けたいと思うのは人情だ。
だけど、そうでない人に対しては、おそらく自分は、冷たいのだろう。何故なら、自分が日々を過ごすだけで必死だから。このままであと10年も20年も続けられるのかというと、それすら自信がないわけで(笑)。自分がポックリ死にそうである(笑)。
なんてことをだな。
いろいろ考えつつ、、、一方では。おぼーさんが。「私も死にたくないと思って暮らしています。朝、運良く目覚めたらその日一日…」というようなことを説法の中で仰っていたので、面白かった。
それになー。
やっぱり仏教式のお葬式には抵抗がある、、、お焼香する時に、思わず十字切りそうになって、何回も(あ、やばやば)と思ったのは、私です(^_^;)。
で、義父は、きれーなお顔にしてもらって、幸せそうに旅立ちました。合掌。。。とはいえまだ四十九日までは、そのへんにいるんだろうけど。
物語の中では、人は沢山死ぬけども、死んだ後、人がどうなるのか、ということがわからないから人はじたばたするのであって、それと「老い」というのが切っても切り離せないから、いろいろなところで不都合やら社会問題やらになる。
人の生き死にが自然であり続けられて、天然や自力で賄えるのなら、こんな幸せなことはないんでしょうね。ただ実際のところで、そういうのはムリだと思う。
病気になるかどうかということと、甘えの精神構造とは関係なくて、甘えの中には、体調が悪い(身体の具合や頭の具合がよくない)ことからくる、本当にどうしようもないものと、単なるワガママだったり社会常識や思いやりの無さからくるものがあり、その境目は、はなはだ曖昧だ、、、と身近な例を見ていて私は思う。
年を経れば我慢強くなるかなと思っていたのだけれども、職場の仲間などと話をしていても、「むしろそれは逆なんじゃないかい」という自覚が皆あり、「だんだんワガママになる」というのが、もっぱらの感じらしい。いや、だからそれは「自覚しろよ」という意味であって、人様にどうこういうことではないのだけれどね。
要するに、死ぬ覚悟があるか、という話。
死ぬ覚悟=生きる覚悟とか生き様 ってことになるんだろう。
たいてい、私らの年代までの人間で、どこにも致死の故障を抱えてない人間(あちこち不具合はあるにせよ)にとって、死は「明日突然」やってきたりはしない、、、と思い込んでいる。
だけどまぁ、「無差別殺人」だってあるし、「通りがかり殺人」やら、「爆弾に巻き込まれた」り、「地下鉄サリン事件」とかもあったりして、いつだって人は死に直面して生きてるわけなのだ、、、と、改めて思う。
しょっ中、倒れたり救急車に乗ってるので、病院のベッドで動けないでいるときなんかは、少し楽になってくると「あぁしまった~」とかいつも思うわけですな。「このまま帰れなかったら、ヤバいよ自分」。部屋の中はぐちゃぐちゃだし、仕事もプライヴェートも整理できてない。なにせ、入るお墓も決まってないもんね。無縁仏か?(って仏教徒じゃないから「仏」じゃないことは確かだが・笑)
・・・
タイトルの科白は、義母(医者)の科白である。
真実で、悲しくて、本音。
というのも、NYから帰った翌々日の早朝、義父が亡くなったからだ。朝、起きて気付いたら階下で冷たくなっていたそうで、持病はあったものの、前々日まで元気に碁を打ち、前日の夜、会議で遅く帰った義母にお茶を入れてくれた、というから、ポックリ死といっても過言ではない。
だけどそのあとは、なんというか。
お二人の生き様というか、なんというか。そして子どもたち親類のケアといいますか。親族でありながら、血縁ではないという立場で、極めて不思議な立場でその場にいた私としては、感動するようなお見送りだった。
友引がはさまったので、通夜までの2日間、いろいろと話をする時間があり、皆が仕事の合間を縫って、交代に訪れ、できることをし……。一族の連携と、地域のコミュニティが上手く回っていた例なのだろうと思う。
生きている間にしなければならないこと? 残された人が困らないようにすること、なんだろうなぁ。
悲しみや、寂しさや……そういった感情はあとからついてくるし、あってもなくても変わりない。だけど、死者が生者に負担をかけてはいけないわけで(もちろん、逆もあかんけど)、それを完璧にしていく覚悟、というのは、いまの70代80代の人たちは持っていると思うけど。われわれの世代やそれ以下はどうだろうか。
東京は、単身者世帯がとても多いそうだ。
ずっとそうやって暮らしてきた者は、それに慣れているだろうし、自分の始末くらいは自分で考えているはずだ。それはそれであとくされなくていいのだろうと思う。
だけど実際、うちの親族のように、全国に散らばって住んでいる場合、どうしたらよいのだろう? とふと思う。身体が動く間は一人で楽しく暮らしてる叔母たちもいる。だが家族で暮らすことに慣れた者が、それが欠けた時に、覚悟があるだろうか?
帰るつもりも、面倒を見てもらうつもりもない。だけど、逆はどうだろうか? 親の面倒を見るのは子の義務だろう。しかし18で大学に行くために家を出て、もう何十年も一緒に暮らしたこともない(帰省しても、一緒にいるのは2日が限度だ)。
自分で生きようとしている人には、出来うる限り助けたいと思うのは人情だ。
だけど、そうでない人に対しては、おそらく自分は、冷たいのだろう。何故なら、自分が日々を過ごすだけで必死だから。このままであと10年も20年も続けられるのかというと、それすら自信がないわけで(笑)。自分がポックリ死にそうである(笑)。
なんてことをだな。
いろいろ考えつつ、、、一方では。おぼーさんが。「私も死にたくないと思って暮らしています。朝、運良く目覚めたらその日一日…」というようなことを説法の中で仰っていたので、面白かった。
それになー。
やっぱり仏教式のお葬式には抵抗がある、、、お焼香する時に、思わず十字切りそうになって、何回も(あ、やばやば)と思ったのは、私です(^_^;)。
で、義父は、きれーなお顔にしてもらって、幸せそうに旅立ちました。合掌。。。とはいえまだ四十九日までは、そのへんにいるんだろうけど。