ヤマトの音楽、つれづれ。
前に書いたこととダブるかもしれないんだけれども、
神戸のヤマト祭はとても楽しそうで、行ければいいなと思っているのですが
それにつけても、、と思うことが重なった。
前の音楽祭もそうだったんですが、
このほど、「宇宙戦艦ヤマト2199」のスコアが発売されましたよね。
しかも、インストのBGMの部分で、「うわぁ、欲しい!」と思って、早速購入! しようと思ったら、吹奏楽スコアだった。。。
神戸の“祭”も、ブラスでしょう?
ふうん。
オーケストラは、見捨てられたのかな。
そう思ってしまったのですよね。
弦楽器の響き。宮川(父)サウンドのベースにあった、心情描写、宇宙の広がり。管楽器の秀逸なソロと、打楽器のドラマティックさは、その弦楽器の奏でるサウンドの上に乗っていたからこそ、特別に輝かしかった。
あのトランペットやオーボエの響きは、代替することができない、そう思って、どれだけ地団太踏んだかわからない、という想いがあります。
なんですけど。
サウンドトラックの2を聴いて、う~んと唸った。
私は、“トランスレートできるもの”って、あんまり信じないんだ。
そのサウンドでなければならない。その楽器でなければならない。
例えば、音楽でなければ表現できない、文章でなければ表現できない。絵でなければ描けない。
説明するのは意味がない、、、それが「世界を表現すること=つまり作品だったり芸術」だろうと思っていたりする。
もちろん、アニメや創作が芸術である必要はないわけで(もちろん芸術作品もあるけど、判断するのは歴史であって、それがジャンルでもなければ目的でもない)、必ずしもその理屈が当てはまるわけじゃないけど。
でも。
「見捨てられた」・・・んじゃ、ね? とか思って、寂しい気持ちになった。
私は、チャイコフスキーの「白鳥の湖」と、宮川さんの「ヤマトのシンフォニー」が弾きたくて、ヴァイオリンを手に取ったヘボなアマチュアにすぎない。20数年の想いの果て、苦労して楽器を手にした。そうさせるものがあったんだった。
オーケストラと吹奏楽。
どっちが優れているわけじゃない。
吹奏楽も大好きだし、日本の音楽水準をここまで持ってきたのは吹奏楽だと信じている。その功績は大きいと思う。
だけどね、、、ヤマトに惚れた部分がソウだった、ということだったんだろうな、自分。と思ってもいいでしょ。
第七章で、新曲が9曲くらい入るんだと聞いて、とても楽しみにしている。
私は「ガミラス国歌」や「船乗りの歌(だっけ?)」のインストメンタルバージョンがとても好きだし。
彬良さんの音楽はとても好きです。だけど、ヤマト×彬良さん、とした時の、このごろの違和感に、やっぱり父MIYAGAWAというのは違う気がして。とか思う今日このごろなのであった。
第七章、ほんと楽しみです。