夏だ! 熱いぞ?!・1
皆さま、お久しぶりです(?)。お盆の土日だっつのに会社にいる綾乃です(泣)。
お誕生日も会社にいました。しかも誰も知らない(<言ってないんだからあたりまえだけど)。
誕生日が納品に重なるってのはもう、ここ10年以上の必然のようなもので、もう1日2日ズレてりゃなぁ。でもまぁいいですけど。基本的にアニバーサリーには興味がありません(^_^;) 国家とか歴史とかにとって重要なものは別で、自分の誕生日よりも終戦記念日の方が大事ですね。生まれてくることができたことを親やら、周りの人に感謝する日であって、自分が祝われてる場合じゃないだろう、と思う。世の中には、その人がいることで周りが幸せになる人、というのがいて、その唯一の存在を、身近な人が祝うこと、というのがお誕生日なのかなと思います。私はそういった意味ではあんまり、居なくてもそんなに困らないだろうなぁ、と若い頃から思ってきたのだし、現在はある程度、社会的に責任のある立場ですが、必要とされることが欲しかったから今の場所にいるのかもしれませんね。人柄だったり、誰かにとって大事な人だったり、、、ということについては、代替のできるものであって、唯一無二というのは稀有なことだと思います。世の中の多くの人が、その“稀有”に出会って暮らしている。私にとっての、そういう出会いというのは、たとえばゆきずりでも幾つもあるのですが、相手にとってそうだったかどうか、というのはいまだ謎です。インパクトが強いだろうという自覚はあるのですが(いやまぁそういわれることは多いので)、それって下手すりゃ、めーわくってやつ? かもしれないですしねぇ。とほほ。
ところで終戦記念日のコトです。
仲間のFBで、いまや日本人の1/3が「終戦記念日がいつだか知らない」んだそうで。呆れる。修学旅行で長崎や広島に行っても、原爆記念館に行かない学校があると聞いて、子持ちの友人が呆れていました。これは教育の、ひいては国の方針の問題でしょう。
“敗戦国の作ったアニメ”として価値があったと思われるヤマトのファンの皆さんに、まさかそんな方はいないでしょうが、、、「だからこそ」の平和への希求を、例えば戦闘機にワクワクする気持ちと併行して持っていき続けることも、矛盾しているとはまったく思わないですね。
被害者であったとか、加害者であったとか、それを声高に主張するよりも、何故それが起こって、いま、その歴史を背負ったうえで立っている私たちはどうするべきか、そういうことを考える。考える姿勢を、次の世代に伝えることが、教育ってもんじゃねーの? と思うけどなぁ。
それを。
『はだしのゲン』が描写が過激だから、図書館で閉架にした、とか。『風立ちぬ』に喫煙シーンがあるのをやめさせろ、とか。ええかげんに、せいっちゅの。それこそ、内政干渉ならぬ、作品への冒涜であり、自分で考えることや義務を放棄した人間のやることだし。まるきり『図書館戦争』だよそれじゃ。
あ、ただね。作品の“質が良くない”ことで、良貨が悪化を駆逐する、ものについては、私は排斥やむなし、と思っている。言わないけど、私の周りで2つの人気作品(作家、ともいう)が、それに当たるのだわ。考える力を奪う、ことと、考えないことを肯定しちゃう、という意味で。
・・・
あ。なんか違う話になってしまった。
肝心なネタは、次の記事で。
あ~。この週末は神戸に行ってヤマト三昧の予定だったのに(;_;)。帰りの切符も取れないから行けない(月曜になってゆっくり帰ってくる予定が、まだ終わってなく。休みもなしだなー)。
インテも行きたかったよぅ。中規模のイベントって好きなんですよー。
お誕生日も会社にいました。しかも誰も知らない(<言ってないんだからあたりまえだけど)。
誕生日が納品に重なるってのはもう、ここ10年以上の必然のようなもので、もう1日2日ズレてりゃなぁ。でもまぁいいですけど。基本的にアニバーサリーには興味がありません(^_^;) 国家とか歴史とかにとって重要なものは別で、自分の誕生日よりも終戦記念日の方が大事ですね。生まれてくることができたことを親やら、周りの人に感謝する日であって、自分が祝われてる場合じゃないだろう、と思う。世の中には、その人がいることで周りが幸せになる人、というのがいて、その唯一の存在を、身近な人が祝うこと、というのがお誕生日なのかなと思います。私はそういった意味ではあんまり、居なくてもそんなに困らないだろうなぁ、と若い頃から思ってきたのだし、現在はある程度、社会的に責任のある立場ですが、必要とされることが欲しかったから今の場所にいるのかもしれませんね。人柄だったり、誰かにとって大事な人だったり、、、ということについては、代替のできるものであって、唯一無二というのは稀有なことだと思います。世の中の多くの人が、その“稀有”に出会って暮らしている。私にとっての、そういう出会いというのは、たとえばゆきずりでも幾つもあるのですが、相手にとってそうだったかどうか、というのはいまだ謎です。インパクトが強いだろうという自覚はあるのですが(いやまぁそういわれることは多いので)、それって下手すりゃ、めーわくってやつ? かもしれないですしねぇ。とほほ。
ところで終戦記念日のコトです。
仲間のFBで、いまや日本人の1/3が「終戦記念日がいつだか知らない」んだそうで。呆れる。修学旅行で長崎や広島に行っても、原爆記念館に行かない学校があると聞いて、子持ちの友人が呆れていました。これは教育の、ひいては国の方針の問題でしょう。
“敗戦国の作ったアニメ”として価値があったと思われるヤマトのファンの皆さんに、まさかそんな方はいないでしょうが、、、「だからこそ」の平和への希求を、例えば戦闘機にワクワクする気持ちと併行して持っていき続けることも、矛盾しているとはまったく思わないですね。
被害者であったとか、加害者であったとか、それを声高に主張するよりも、何故それが起こって、いま、その歴史を背負ったうえで立っている私たちはどうするべきか、そういうことを考える。考える姿勢を、次の世代に伝えることが、教育ってもんじゃねーの? と思うけどなぁ。
それを。
『はだしのゲン』が描写が過激だから、図書館で閉架にした、とか。『風立ちぬ』に喫煙シーンがあるのをやめさせろ、とか。ええかげんに、せいっちゅの。それこそ、内政干渉ならぬ、作品への冒涜であり、自分で考えることや義務を放棄した人間のやることだし。まるきり『図書館戦争』だよそれじゃ。
あ、ただね。作品の“質が良くない”ことで、良貨が悪化を駆逐する、ものについては、私は排斥やむなし、と思っている。言わないけど、私の周りで2つの人気作品(作家、ともいう)が、それに当たるのだわ。考える力を奪う、ことと、考えないことを肯定しちゃう、という意味で。
・・・
あ。なんか違う話になってしまった。
肝心なネタは、次の記事で。
あ~。この週末は神戸に行ってヤマト三昧の予定だったのに(;_;)。帰りの切符も取れないから行けない(月曜になってゆっくり帰ってくる予定が、まだ終わってなく。休みもなしだなー)。
インテも行きたかったよぅ。中規模のイベントって好きなんですよー。