三善先生が。。。(訃報)
作曲家の三善晃さんが亡くなった。80歳だそうだ。
ここ数年来は病床につかれていたので、誰もが、いつかは、という想いはあっただろうけれども、親しい人々や恩義を受けた人々が寄れば、私の合唱団仲間なども、集まればその話をし、心配申し上げたり快癒を願ったりしていました。
さすがに各方面も衝撃が大きく、人柄・功績・才能その他、様々な意味で大きな方だったと思います。
個人的な思い出は前に書いたかもしれませんが、尽きません。
私が音楽の方面に方向転換したのは、ヤマトの所為があるかもしれませんが、今あるシゴトを続けていられるのも、この方のお陰でもあります。心の師匠であり、音楽の意味でも深く影響を受けた方でした。
学生時代に『嫁ぐ娘に』『クレーの絵本』や『麦わら帽子』を歌い、彼の歌曲や、合唱曲を歌い、いつか『五つの童画』を歌いたいと願って、社会人になって、そうし、彼の楽曲が、素晴らしい仲間も、先輩も、大切な時間も呉れました。
そして何よりも、学生時代に所属していた合唱団で、『地球へのバラード』という、現在も広く歌い継がれている曲を委嘱・初演できたことは、自分の音楽生活や合唱人生において、本当に素晴らしい体験だったと思います。
合唱団の仲間たちは、いまごろどんな気持ちでこの訃報を聞いているのだろう。
身近にその存在を感じ続ける業界にいるだけに、直接のお弟子さんたちや(指揮者の沼尻竜典さんや、作曲家の池辺先生などもそれに当たります)、彼の曲をよく演奏してらした親しかった方々は、どのように思われているだろう、そうも思いますが。。。
お会いし、親しくお話させていただいた日のことは、今も脳裏にくっきりと覚えています。
ひとつひとつの言葉が宝石のようで、大切な雫のように、心に落ちてきたのです。ご一緒させていただいた、ただひとつの仕事にはなむけていただいた言葉も、今も大切に思っています。
日本はまた一つ、宝を失いました。
時が、時代が移り変わっていく。
時はよみがえらないのだから、また一つの時代が終わり、、次に引き継がれていく……のなら善いのですが。
朝日新聞デジタル版
ここ数年来は病床につかれていたので、誰もが、いつかは、という想いはあっただろうけれども、親しい人々や恩義を受けた人々が寄れば、私の合唱団仲間なども、集まればその話をし、心配申し上げたり快癒を願ったりしていました。
さすがに各方面も衝撃が大きく、人柄・功績・才能その他、様々な意味で大きな方だったと思います。
個人的な思い出は前に書いたかもしれませんが、尽きません。
私が音楽の方面に方向転換したのは、ヤマトの所為があるかもしれませんが、今あるシゴトを続けていられるのも、この方のお陰でもあります。心の師匠であり、音楽の意味でも深く影響を受けた方でした。
学生時代に『嫁ぐ娘に』『クレーの絵本』や『麦わら帽子』を歌い、彼の歌曲や、合唱曲を歌い、いつか『五つの童画』を歌いたいと願って、社会人になって、そうし、彼の楽曲が、素晴らしい仲間も、先輩も、大切な時間も呉れました。
そして何よりも、学生時代に所属していた合唱団で、『地球へのバラード』という、現在も広く歌い継がれている曲を委嘱・初演できたことは、自分の音楽生活や合唱人生において、本当に素晴らしい体験だったと思います。
合唱団の仲間たちは、いまごろどんな気持ちでこの訃報を聞いているのだろう。
身近にその存在を感じ続ける業界にいるだけに、直接のお弟子さんたちや(指揮者の沼尻竜典さんや、作曲家の池辺先生などもそれに当たります)、彼の曲をよく演奏してらした親しかった方々は、どのように思われているだろう、そうも思いますが。。。
お会いし、親しくお話させていただいた日のことは、今も脳裏にくっきりと覚えています。
ひとつひとつの言葉が宝石のようで、大切な雫のように、心に落ちてきたのです。ご一緒させていただいた、ただひとつの仕事にはなむけていただいた言葉も、今も大切に思っています。
日本はまた一つ、宝を失いました。
時が、時代が移り変わっていく。
時はよみがえらないのだから、また一つの時代が終わり、、次に引き継がれていく……のなら善いのですが。
朝日新聞デジタル版