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2014_02
06
(Thu)23:46

ある作家の、有名作品について。

 昨日は音楽業界が震撼した1日だった。
 私のところにも、いくつか問い合わせが来たりもしたが、今は、答える立場にない。生ぬるく見守るしかない、というのが正直なところだろうか。仕事で接する人々の中にも、関わった人は多く、週刊誌に記事を書いたK氏が記者発表で行ったように、「多くの人が加害者で被害者」だという現状だ。

 しかし、このきっかけの一つになった義手の少女を主役にした絵本が発行停止になったり、「交響曲第1番HIROSHIMA」のレンタルが禁止になったり(<つまり公共の場では全く演奏できなくなる)。それは問題が違うのではないか。読者は読む権利を、奏者は演奏する権利を、そして聴衆はそれを受け取る権利がある。……生“図書館戦争”か!? 曲にも、作品にも、罪はない。

                  ・・・
 さて、まったく真逆の話をしよう。
 真逆に見えるだろうが、私は根本は同じだと思っている。

 以前、このblogで、ある作家の作品を面白いと言い、一気読みし、家人にもヤマ友にも勧め、そして皆、ハマって感動の涙を流した。
 その作品から受け取ったメッセージは、戦争というものの嘘と無意味と、命の大切さを包括したものだ、と感じたからだった。
 そして多くの人々に伝播したそれは、同じように感じた多くの読者を得てベストセラーになり、コミカライズされ、そして、映画化されてまたこの動員数もすごかった。

 『永遠の0(ゼロ)』

 しかし私は、あの感動を返せ! と言わざるを得ない。
 感想を書こうと思った矢先の、安倍首相との対談。そして昨日の、東京都知事選挙での、ある候補者への応援演説のセリフ。

 作家のセリフには公共性があると思う。

 これは、「言葉」を商売にする人が気を付けなければならないことだ。影響力がふつうではないのだ。だからそれを利用しようとする人もいれば、マチガウ人もいる。
 皆が皆、自ら考え、汲み取る者ばかりではない。そこまで、人は賢くはなっていないのだ、日本の社会で。だから簡単に、マスコミに操作され、ネットの情報に踊らされ、作家の言葉に踊る。

 私は二度と、百田尚樹を認めない。
 これ以降、彼の作品も読まない。
 私はある作家作品が面白いと思ったら、他の作品もどんどん読んでいく方で、ほとんどの文庫化された彼の作品は読んだが、そこから得た感動は、すべて反転してしまった。

 だから、推薦したことを後悔する。
 中からくみ取ったものは嘘ではないと信じたかったが、それは読み手の心の中にあるものだ。

 作品が優れていれば、何を言っても書いてもよい、とは思わない。
 これは、(私・基準で)音楽と文学の大きな違い。
 その、メディアとしての手法の違い。存在そのものの違い。

 音楽は、抽象的である。具象化・記号化されない。
 言葉は、直接、何かを語る。意図しないうちに、誘導される。

 危険な存在。

とまぁこれは書いておきたかった。
作家は、社会的存在だ。……もっと、自覚してほしいなと思い、いや自覚しているからこそ、妙な自負に足を取られるのかもしれないとも思ったりして。

 反論がある方、どうぞ。お答えするとは限りませんが(忙しいので)。

コメント

ちなみに。

…ちなみに、応援演説の中(応援演説そのものもアレだけど)で引っかかったのは、「南京大虐殺」云々ではなく、「人間のクズ」の部分です。

悪しからず。

2014/02/07 (Fri) 11:58 | 管理人 | 編集 | 返信

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