美しい日本語(?)/昨日の続き。
知れば知るほどスバラシイが、自分の中にあるものは別として、西洋文化で育ってしまったために、むしろ遠い、という気がしていて。着物を着る習慣もなかったし、民謡も回りになかった(歌えますけどね)。民族楽器や田畑も回りになかった。だから、より近づいてみようという気持ちが常にある。
昨日、追記で書こうと思ったけど、別のアーティクルにしようと思って、引っ越してきた。
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私は日本語が好きですし、たぐいまれなる美しい言語だと思っています。
他と比較することがなかなか容易ではありませんが、言葉というのは魂や文化と直結している。
失われつつある大和言葉や、古典の和歌などに歌われることば、普通の「標準的な」日本語。特に、敬語の混乱や、商用に使われる妙な丁寧語による、刷りこみと混乱は、はなはだしく日本人の感性を阻害すると思っています。
国を護りたかったら、まずそういうとこから守らんかい! と思うんですけどねぇ。
日本という国の美しさは、守り伝えなければ、けっして尊敬され続けることはできないでしょうよ。
ちなみに、例えばですが。
「本日も新幹線をご利用【くださいまして】ありがとうございます」ってこれ、だれが言い始めたんでしょう? 「ご利用いただきまして」です、本当は。また、商用などで対応される先方(こっちが客)との電話のやり取りで「左様でいらっしゃいますか」「左様ですか」って、絶対変でしょ。「左=さ」というのは自分をへりくだる表現ですし、「くださる」も自分を下げる表現ですから、相手に使うのはおかしいんです、本当は。どころか結構、失礼だと思うんですけどねぇ。「左様でございます」は自分に使う言葉です。
連日聞かされてると、「私の方が、ヘン?」って思うようになるんですが、これがマズいですよねぇ。
日本語に鈍感になりたくは、ないですね。
おちゃらけて「言葉遊び」をしているうちは良いのです。それは洒落でありパロディ。だけど、それを「本当」と「パロディ」の区別なく使うようになったら……マズいでしょう?
某人気ミステリーがあります。
執事が出てくるのですが(まぁこういう作品は最近多いですよね)、この執事の使う敬語が、あまりにひどくて、数ページで本を投げました。アイデアも内容も面白いと思うのですが(現に、映画は面白かったので見ました)、これは、ほぼ「犯罪レベル」のひどさ。編集者も入っているのだろうから、「わざと」なんだと思うのですが、この、わざとぶりを理解しない人が本気でこれを真似したらどうなるんでしょう?
言語の破壊は文化の破壊で、それは限りなくヤバい方向へ行きます。
理系の能力は数字に表れやすいので皆、気をつけますが、実際は、国語能力というのは頭脳の力と直結しているので、おかーさんは特に気を付けなければいけない。もちろん、自分もですけどね♪ …なんてことを、新幹線乗るたびに思うのだなぁ。はい、東京へ戻っています。ヘロヘロですー。