戻ってます、、、がもう少し待ってね♪
実は珍しく結構、落ち込んでいる。
落ち込んでいるというか、怒ってるんですね・・・私は、自分がけっこう自分の(いろんな)実力というものを、客観的に理解(わか)っているという自負はあったりする。……こういうとこで「お話」を書くとか、シュミの面では、やっぱり、本職でない分、客観的になりきれないところがあって、いろいろな人に指摘されたりもするけど(^_^;)(はいその通り)だったり。
だけどね。
自分のシゴトの面と、音楽(の演奏)に関してだけは、ある程度、“客観的な秤”は持っている(はず)。
でなければ、とっくに、【自意識】ってやつと【コンプレックス】(この二つはほぼ同一事象の裏表だ)の海にぶくぶくと溺れていただろうと思うのだ。
音楽家たろうとした時期があったし、子どもの頃から、ピアノ弾いてた。
子どもの頃は、自分と他人を比べる、ということが無い。何故ならふつーの学校行ってたからだよ。
かの有名なT朋とか行ってた友人たちは、毎日が競争と比較の日々なので、おのずと自分の“立ち位置”みたいのが決まっちゃうそうだ。下手、普通、まぁ上下する層、上手い、演奏会出演常連、神なレベル……とまぁ、こんな感じ。
へえ~って感じ。
普通校ってのもいいよね。いろんなこと得意な人がいて、勉強が得意だったりスポーツが得意だったり、音楽が得意だったり、歌手の物まねが得意だったり、リーダーシップがあったり、人まとめるの上手かったり、絵が得意だったり。
そういうのが順番にリーダーになったり、その人を立てたりして、チームができていくのが、クラスだったり、部活だったりした。。。考えてみると、専科の子たちって、そういう楽しみは知らないんだって言ってたな(別の楽しみ方はあったみたいだけどね。「のだめカンタービレ」顔負けなおもろい学校祭とかやってたみたいだし)。
話が大きくズレたけど(笑)。
私が「上手くないんだ」と言ったら上手くないんだし、「弾けない」と言ったら、「弾けない」んですよね。
もちろん、昔みたいに、時間を100%、そのコンサートや本番のために使える立場なら話は別。何かの方法を考え、それを生活の中心にすれば、出来る「かもしれない」。でも、現在の生活と優先順位の中では、無理だということ。
もちろん、その時期、他のものと優先順位を変えることはできる。
それで、何度も断ったつもりだったけど、話はどんどん進んでいく。
ネットとかメールって、「相手の話を聞かない」って最強じゃん? こちらがそれで、仕事で忙しい時にメール来るから、来たものにどんどん答えている/またはまったく答えない と、向こうは、周りを巻き込んだ“状況”が出来上がっているというわけ。
そうした時に。
突っぱねることができません。はい。すみません。
相手の勘違い(勝手に勘違いしたんだし、会って話をしてもまだ、理解していないようだ)を正すことはできない。だから私は、ずっと怒っている。相手に、相手のわからなさに、音楽への安易さに。そして何よりも、自分に。
【できない】というのを、何故、世の中の人は、言葉どおりにとってくれないんだろう?
「私なんか……」って何故言うんだろう、出来るくせに。
そうやって、相手の言葉を、勝手に“斟酌”することで、弊害が生まれていく。
できるかもしれない場合は、何とかなるというし、「できるだけやってみる」と言うと思う。
私が「できない」と言ったら、本当にできないんだよ。
それで、この場合はどうする、この場合はどうする、と列挙する。条件を。
あれもこれもは満たされない時に、どれを最優先したいのだ、とつきつけてもまだわからないらしい。
ただ、音楽というのは残酷なものだ。演奏してみればわかる。ただし、そこで「わかった」ところで、時が、すでに無い。
そして、非は常に、こちらがわに向けられる。
「できないって言ったでしょ」と言う言葉は、すでにその場では「言い訳」にすぎない。
皆、何故、こんなに難しいことを簡単に考えるのだろうか。
何故、やってくれる人が“見つからない”理由を、もっと多方面から考えないんだろうか。
自分に問題があるとは思わないんだろうか?
よくわからないですね。
……後始末にはまだお金と時間がかかる。
だから、怒っている。正直、何故私がそこまで面倒を見てやらなければならないのかと思う。
だけど、ルールとはそういうものだ。
私が悪かった。。。だから私は自分にも怒っている。
あ~もう。
踊りに行こうっと。すっきりするかな?
◆ ◆
追記。
……レッツ・ダンシン! したら元気になりました(^.^)おほほ♪
先生にも言われたさ。
「お稽古場に、ネガティヴな気持ちを持ち込まない」ってね♪
……持ち込みようがないっちゃ。。。えっれー明るいんだもん、皆(先生も)。
今日は、今期初日。終わってから皆さんと「一杯引っかけに」も行き。
それに、やっぱり、音楽はいいです。
落ち込んでいるというか、怒ってるんですね・・・私は、自分がけっこう自分の(いろんな)実力というものを、客観的に理解(わか)っているという自負はあったりする。……こういうとこで「お話」を書くとか、シュミの面では、やっぱり、本職でない分、客観的になりきれないところがあって、いろいろな人に指摘されたりもするけど(^_^;)(はいその通り)だったり。
だけどね。
自分のシゴトの面と、音楽(の演奏)に関してだけは、ある程度、“客観的な秤”は持っている(はず)。
でなければ、とっくに、【自意識】ってやつと【コンプレックス】(この二つはほぼ同一事象の裏表だ)の海にぶくぶくと溺れていただろうと思うのだ。
音楽家たろうとした時期があったし、子どもの頃から、ピアノ弾いてた。
子どもの頃は、自分と他人を比べる、ということが無い。何故ならふつーの学校行ってたからだよ。
かの有名なT朋とか行ってた友人たちは、毎日が競争と比較の日々なので、おのずと自分の“立ち位置”みたいのが決まっちゃうそうだ。下手、普通、まぁ上下する層、上手い、演奏会出演常連、神なレベル……とまぁ、こんな感じ。
へえ~って感じ。
普通校ってのもいいよね。いろんなこと得意な人がいて、勉強が得意だったりスポーツが得意だったり、音楽が得意だったり、歌手の物まねが得意だったり、リーダーシップがあったり、人まとめるの上手かったり、絵が得意だったり。
そういうのが順番にリーダーになったり、その人を立てたりして、チームができていくのが、クラスだったり、部活だったりした。。。考えてみると、専科の子たちって、そういう楽しみは知らないんだって言ってたな(別の楽しみ方はあったみたいだけどね。「のだめカンタービレ」顔負けなおもろい学校祭とかやってたみたいだし)。
話が大きくズレたけど(笑)。
私が「上手くないんだ」と言ったら上手くないんだし、「弾けない」と言ったら、「弾けない」んですよね。
もちろん、昔みたいに、時間を100%、そのコンサートや本番のために使える立場なら話は別。何かの方法を考え、それを生活の中心にすれば、出来る「かもしれない」。でも、現在の生活と優先順位の中では、無理だということ。
もちろん、その時期、他のものと優先順位を変えることはできる。
それで、何度も断ったつもりだったけど、話はどんどん進んでいく。
ネットとかメールって、「相手の話を聞かない」って最強じゃん? こちらがそれで、仕事で忙しい時にメール来るから、来たものにどんどん答えている/またはまったく答えない と、向こうは、周りを巻き込んだ“状況”が出来上がっているというわけ。
そうした時に。
突っぱねることができません。はい。すみません。
相手の勘違い(勝手に勘違いしたんだし、会って話をしてもまだ、理解していないようだ)を正すことはできない。だから私は、ずっと怒っている。相手に、相手のわからなさに、音楽への安易さに。そして何よりも、自分に。
【できない】というのを、何故、世の中の人は、言葉どおりにとってくれないんだろう?
「私なんか……」って何故言うんだろう、出来るくせに。
そうやって、相手の言葉を、勝手に“斟酌”することで、弊害が生まれていく。
できるかもしれない場合は、何とかなるというし、「できるだけやってみる」と言うと思う。
私が「できない」と言ったら、本当にできないんだよ。
それで、この場合はどうする、この場合はどうする、と列挙する。条件を。
あれもこれもは満たされない時に、どれを最優先したいのだ、とつきつけてもまだわからないらしい。
ただ、音楽というのは残酷なものだ。演奏してみればわかる。ただし、そこで「わかった」ところで、時が、すでに無い。
そして、非は常に、こちらがわに向けられる。
「できないって言ったでしょ」と言う言葉は、すでにその場では「言い訳」にすぎない。
皆、何故、こんなに難しいことを簡単に考えるのだろうか。
何故、やってくれる人が“見つからない”理由を、もっと多方面から考えないんだろうか。
自分に問題があるとは思わないんだろうか?
よくわからないですね。
……後始末にはまだお金と時間がかかる。
だから、怒っている。正直、何故私がそこまで面倒を見てやらなければならないのかと思う。
だけど、ルールとはそういうものだ。
私が悪かった。。。だから私は自分にも怒っている。
あ~もう。
踊りに行こうっと。すっきりするかな?
◆ ◆
追記。
……レッツ・ダンシン! したら元気になりました(^.^)おほほ♪
先生にも言われたさ。
「お稽古場に、ネガティヴな気持ちを持ち込まない」ってね♪
……持ち込みようがないっちゃ。。。えっれー明るいんだもん、皆(先生も)。
今日は、今期初日。終わってから皆さんと「一杯引っかけに」も行き。
それに、やっぱり、音楽はいいです。