ふと振り返ってみる。
私は割となんでも受け入れて楽しんじゃう方だという自覚はあって、そういうのは少数派なんだろうと思うんですけどね。ぶつくさ言いたいこともあるので、今日はそれを書く。いや、新作の話じゃなくて、2199全体のこと。
不愉快だとか読みたくない人はスルーよろしく。
一応、礼儀上、全部「続きを読む」に入れておく。ではね。
「星巡る方舟」を見てさー、仕事の合間に、他の人のblogなぞ覗いてみるしかできることがないよー。
もういっぺん観たい。何度でも観たい。
感動したかどうか、自分でわかんないからね。たぶん私にとっては「これがヤマトかどうか」というのは、きっと、どうでもいいんだろう、大きく言えば。
他の人の感想とか見ていると、「2199全否定!」派も結構、いらっしゃる。
実は、それはそれで、よーわかる。……何故なら、自分が“お話”書こうと思う時に、旧作の方は、「書かずにいられなかった」「あとからあとから、何か見えてきた」んだけど、2199の方は、「お遊びに徹する」「書く、という目的が先にある」状態だからねー。やっぱり“二次小説”感が満載だから、さらにそれの二次って、どうよ? と思うからだろね。
この間も観た方と話していたが、私ら、「受け入れすぎ」なのかもしれない。
ヤマトのファンって、狭いなーと常々思っているし、ヤマトしか見ないで「ヤマトが一番」ってどうよ? と思う。本当に好きなら、いろいろ観てみて、良いとこも良くないとこも評価した上で、「私はこれが好き」って言ってりゃいいじゃないのよ、という不満(?)は、ずっとあったんですよね。
それで、新作を作る、、、ということに、すでに『復活篇』で、大反対だった自分がいる。
ただし、クリエイターや“提供する側”の人々が、「新しい、自分たちの世界」を作りたい、ってのは、もはや本能で。その手段も技量もある人たちが束になったら、そりゃどうぞやってください、っていうしかない。自分がそこに居られないことに、ヤキモチ焼いてもしょうがないわな、絵とか描けないんだし、脚本とか描けないし、人脈も実力も、無いからさ。
だから、ヤマトを好きで、その道に入って、地道に頑張ってきた人たちが爆発すると「ああなる」んだね、って感じよね。
作品とか何か。
創る前に否定したくはないよ。だからともかく作って、提供してみてください。それで、前のものと比較して、前のものが破壊されようがなんだろうが、それ以上に素晴らしければ、良いと思う。……けどね。そうでないなら、前のものを大事にしたっていいだろうよと思うのもまた一方で正直な気持ちだから。
ただ、キャラたちってもはや私たちファンにとっては「生きている人格」でしょう? だから、その中に、良いところを見つけようとし、付き合おうとし、切り捨てることなんてできやしない。生まれてしまったものは、付き合うしかないんだしな。
しかしてやっぱり「ダメなものはダメ」とか、「原作の◎◎を生かしてない」というところは多々あってさ。
それはもう主観の問題だろうと思うけどね、そうでないこともあるんだなとか。
世の中の変化と、ほぼ、ニアリーイコール、昭和は遠くなりにけりなんだなとか。
売れないといけないと思うなら、もっと徹底してマーケティング計ったらいんでねーの? と思いつつ、マーケしてんじゃなくて、一部の顧客を取り込んで、それに媚びたような商法取るなと思うとこも多々あるね。
抱き枕とか、今回の雪のフィギュアとか。公式で出すようなもんですかい? 女子のファンもいるんだよ。まぁ艦内服アレになった段階でね、そういうの切り捨てたわけですかい。
だけど、前述したように、「きっぱりオリジナルストーリー」というのは成功だったと思います。
だから、気持ち良く何度も観たい。いいと思うし。……だけど、やっぱり音楽シーンは、いろいろ違和感がある。書きおろしが多かったこともあって、場面場面にはすごくよかったけど、なんだろぅ、旧作みたいに「この場面にはこの音楽」逆に、音楽を聴くとその場面が浮かぶ、みたいなとこが無いのが残念。。。葉加瀬たちの音楽は、それとして完成度高いし、絵ともマッチして素敵だったですけどね。
が、ガトランティスのあの太鼓はなんやねん。。。