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2016_02
22
(Mon)20:04

訃報と会葬(あるオーボエ吹きの話)

 考えてみれば、結婚式より葬式の方が多い。年齢的に、そうなるにはまだ早い、はずなのだけれど。年上だったりずっと年上の知人・友人も多いから仕方ないか。

 それでも、「まだ早いよ!」という人から死んでいく。世の中に、特に若い仲間たちに必要とされて愛されている人が、亡くなるのは、その人がそうあるために気づかないストレスがあるからにちがいない。昔は、いい人ほど早く亡くなるのを、「神様に愛される」んだと言ったものだけど。今はどうかな。

 1月17日。あるオーボエ奏者の訃報に、私の周りの人々は震撼とした。仕事の締め切り真っ最中で、夜中に会社にいて、個人的には「勘弁してくれよ!」と叫びたくなる気分だった。まだ何人か残ってたので、叫ぶわけにもいかないし。久しぶりに、それは「悲報」だった。まさに「早すぎるだろ!?」? そんなに超メジャーというほどではないけれども、音楽業界への貢献度高く、なによりもあるオーケストラが今あるにとって、質的に、そして現在、牽引力である彼ら(すでに彼らも若くはないが)の若い時代にとって、とてつもなく大切な人だったはずだ。つぶさにそれを見聞きし、ひょうひょうと、軽いように見せながらそれをこなしていく彼を、私はとても尊敬し、憧れていた。
 奏者としても一流で、誰も彼のようには吹けない。。。と私は思っている。もっとうまい人も、もっとすごい人もいるけれど。それでも、モダンとバロックの両方で、彼のオーボエは素晴らしかった。

 通夜に来ていた人のうちけっこうな割合で彼より年上だった。彼を慕うオーケストラの後輩たち・同僚・先輩たちがやってきて、会場は椅子はもちろん足りなかったし(もともと全員座らせる前提ではなかったようで、オケの人たちは通路に列を作るよう手配されていた)、会食場は満杯だった。知己が知己を呼び、見知った人に何人も再会し、互いが再会試合ってあちこちで会話が始まっていた。
 彼は定年延長していたし、もしかしてエキストラにも呼ばれていたから、実際に舞台の上で姿が見られなくなって数年だと思う。
 いつもそうだけれども、早くいってもいいよ、という人がいる一方(<暴言失礼)、やめてほしくないという人もいる。その人が抜けてしまったあと、どうするのだよ? と。
 オーケストラというものは生き物で、一人ががんばっても良いオケにはならないが、一人が変わると音が変わってしまうことがままあるのだ。彼はそういう奏者だった、、、と思う。

 往年のメンバーが何人も顔を見せていた。
 現在教えている三つの音楽大学の学生たちが、来られる人は来て、そうでない子たちはお花を寄せていた。

 なんと言ったらよいかわからない。彼の大学時代からの親友だったという著名な音楽家が弔辞を読んだ。最後に会った時に「達観していた」というけれども、きっと彼はもっと生きたかっただろう。

 オーケストラというのは、もちろん素晴らしい職業で、音楽の業態としても素晴らしいものだけど。その楽団員というのは心身のストレスの多い職業だ。オーケストラによってももちろん違うが、激務、プレッシャー、体力、持久力、人間関係、音楽における関係性、その他、それらは限りない。音楽家の中で最も早死にするのがオケマンだといわれているし、統計をとったわけではないが、見ていると実際にそうだろうと思う。

 昔、事務局にいて世話になった人と会えたので(7〜8年ぶり?)話していたのだけれども、オーボエというのは、最初に  Aの音を取る=チューニングをする という仕事がすべてに代わって存在している。あれについて、どうなんだと尋ねたことがあるそうだ。「それは大変なプレッシャーですよ」と答えたという。
 あ〜そうなんだぁ。そうだよね、この音に、皆が合わせて、演奏が始まるんだから。その日のオーケストラのコンディションを決めてしまうんだから。

 本葬は明日で、おそらく今日よりももっと多くの人が集まるのだろう。
 会葬中も、何かのおりに誰かが涙ぐみ、あちこちですすり泣きの声が聞こえ、男の人でも(若い人でも)泣いてる人がけっこういた。楽しく語り合いつつ、また思い出しては涙に暮れ、、、遺影のあまりの笑顔の美しさにやっぱり涙が流れる。友人というほど親しくなかったが、それでもこんな思いをするのだから、一緒に演奏した若い仲間たちはどう感じているのだろう。
 やすらかに。冥福を祈りたい。

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